鎖国論(読み)さこくろん

山川 日本史小辞典 改訂新版 「鎖国論」の解説

鎖国論
さこくろん

江戸後期,蘭学者志筑(しづき)忠雄が訳述した政策論。上下2巻。1801年(享和元)成稿。長崎出島商館医師ケンペルの「日本誌」付録第6章を翻訳・補説したもので,鎖国という語の初見とされる。同書のなかで,ケンペルは,現状のもとでは幕府の政策を是としており,志筑も鎖国是認論に立っている。幕末まで写本で流布し,多くの識者に読まれたが,50年(嘉永3)黒沢翁満(おきなまろ)の「異人恐怖伝」の書名で刊行された。「日本文庫」所収。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の鎖国論の言及

【海防論】より

…この状況が変わる重大な画期はアヘン戦争である。
[開国論と鎖国論]
 海防論はロシアの南下を阻止するための蝦夷地開発論として始まる。その最初とされる工藤平助の《赤蝦夷風説考》(1783稿)は,蝦夷地開発とともに,ロシアと交易を開き,同地での密貿易を禁ずると同時に,ロシアの事情をつまびらかにすることを説いているが,まだ防備にはふれていない。…

【鎖国】より

…それは,江戸幕府が内外の情勢に対応して集権的な権力を確立する過程の一環として打ち出されたもので,日本列島が当時の世界交通の辺境である東北アジアにあり,大陸と海で隔てられているという地理的条件と,季節風と海流を利用した帆船の技術的条件によって,長期にわたる状態の固定が外部から支えられた。 〈鎖国〉の語は,1801年(享和1)長崎の通詞で著名な蘭学者でもあった志筑忠雄がケンペルの《日本誌》の一章を翻訳し〈鎖国論〉と題したときに始まる。ケンペルは鎖国状態のもたらす効用を肯定的に記述したのであったが,英訳からの重訳であるオランダ語版は,その是非を問う表題になっていた。…

※「鎖国論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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