銀山平(読み)ぎんざんだいら

日本歴史地名大系 「銀山平」の解説

銀山平
ぎんざんだいら

村域の東、福島県南会津檜枝岐ひのえまた村とにまたがる只見ただみ川の水源の一つ奥只見おくただみ湖とその周辺地域で、別名奥只見ともいう。低地の大半は湖底水没した。台倉だいくら(一六九五・三メートル)ひらガ岳(二一三九・六メートル)なかノ岳(二〇八五・二メートル)こまヶ岳(二〇〇二・七メートル)などの高峰山麓から流れるこいまた川・なかまた川・きたまた川がほぼ北流して、かつては阿賀野あがの川支流の只見川に合流していたが、現在は奥只見湖へ注ぐ。奥只見湖は別名銀山湖ともいう。只見川は、近世にはあかの川とも記される。年不詳の上田銀山草創記(星家文書)によると、寛永一七年(一六四〇)折立おりたて村源蔵が銀鉱石を発見した場所は「赤の川表上平之川辺」であった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「銀山平」の意味・わかりやすい解説

銀山平
ぎんざんだいら

新潟県と福島県にまたがる只見川上流の谷底平野。新潟県魚沼市と福島県檜枝岐村に属する。寛永 18 (1641) 年銀山が発見され,翌年銀山をめぐる境界紛争が起こり,正保3 (1646) 年に今日のような両県の境界が確定した。安政6 (1859) 年落盤事故により衰微。最盛期には約 1000戸の鉱山集落が出現したといわれる。明治末期から大正初期にかけて,出作村 (→出作 ) や開拓村ができたが,隔絶性の強い自給自足の山村であった。 1961年奥只見ダムの建設により人工の銀山湖 (奥只見湖) が出現,中心部は湖底に沈んだ。魚沼市と奥只見発電所を結ぶ延長 22kmのうち 18kmはトンネルという奥只見シルバーラインが 1971年に開通。湖には遊覧船もあり多くの観光客を集めている。越後三山只見国定公園に属する。

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改訂新版 世界大百科事典 「銀山平」の意味・わかりやすい解説

銀山平 (ぎんざんだいら)

阿賀野川の支流只見川に北ノ又川が合流する付近の谷底平野で,新潟県魚沼市の旧湯之谷村に属する。高田藩が近世初期に只見川沿いに上田・白峰銀山を開き,浪拝(なみおがみ),買石原にかけ銀山御陣屋,製錬所,鉱山集落が栄え,基地小出町(現,魚沼市)から枝折(しおり)峠越えの銀山街道八宿が設けられた。一時は大変な繁栄をみせたが,近世末坑道が水没したため閉山した。明治になって北ノ又川沿いに出作集落,本流筋に開拓集落が開かれた。第2次世界大戦後電源開発による奥只見ダムの建設で鉱山跡と集落は水没し,銀山湖を中心として,上流の尾瀬とともに観光地となっている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「銀山平」の意味・わかりやすい解説

銀山平
ぎんざんだいら

新潟・福島県境の只見川(ただみがわ)の源流盆地の総称。いまは奥只見ダムの完成(1961)で銀山湖(奥只見湖)になっている。1657~1692年(明暦3~元禄5)会津藩や高田藩の上田・白峰(しらみね)銀山の開発が全盛を極め、買石原(かいしばら)には銀山陣屋、町屋1000軒、寺3か寺、廓(くるわ)3軒があった。銀山衰微後は山菜木地(きじ)、狩猟を主とする開拓入植村や、出作(でづくり)集落ができていたが、ダム工事で水没村となり、湖上の遊覧船や湖岸のキャンプ場をもつ観光地に変わっている。小出(こいで)から奥只見シルバーラインによるバスの便がある。

[山崎久雄]

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百科事典マイペディア 「銀山平」の意味・わかりやすい解説

銀山平【ぎんざんだいら】

福島・新潟県境,只見川上流の開拓村。近世初期買石原(かいしばら)に銀山が開かれて一時繁栄したが,のち衰微,明治末から開拓村となり,木地屋,またぎを営んだが,奥只見ダム建設で大半は水没,現在はダム湖の銀山湖を中心とする観光地。
→関連項目小出[町]

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