鈴木大拙(読み)すずきだいせつ

精選版 日本国語大辞典 「鈴木大拙」の意味・読み・例文・類語

すずき‐だいせつ【鈴木大拙】

思想家、仏教学者。文博。名は貞太郎。金沢の人。帝国大学哲学科選科卒。釈宗演について禅を修行し、明治三〇年(一八九七)渡米、東洋思想、特に禅をはじめとする大乗仏教の研究・紹介・宣揚につとめ、東西の思想的なかけ橋となった。同四二年帰国後、学習院真宗大谷大学などで教鞭をとる。昭和二一年(一九四六)鎌倉東慶寺内に松ケ岡文庫を設立。同二四年文化勲章受章。全集三〇巻がある。明治三~昭和四一年(一八七〇‐一九六六

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デジタル大辞泉 「鈴木大拙」の意味・読み・例文・類語

すずき‐だいせつ【鈴木大拙】

[1870~1966]仏教哲学者。石川の生まれ。今北洪川いまきたこうせん・釈宗演について禅を修行。仏教、特に禅の思想の研究・普及に努力。仏教関係の英文著作も多く、海外での名声が高い。文化勲章受章。著「禅と日本文化」「禅思想史」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鈴木大拙」の意味・わかりやすい解説

鈴木大拙
すずきだいせつ
(1870―1966)

明治~昭和期の仏教哲学者。その名はDaisetz T. Suzukiとして、国内よりもむしろ国外に広く知られる。明治3年10月18日、金沢市本多町に、父良準(1822―1876)、母増(1830―1890)の4男1女の四男として生まれる。本名は貞太郎。6歳のときに医師であった父を失う。第四高等中学校本科に進学したが中退し、小学校の英語教師、訓導となって家計を助けた。21歳のとき上京して東京専門学校(早稲田(わせだ)大学の前身)に入学し英文学を修めたが、かねて参禅を志したことから鎌倉・円覚(えんがく)寺の今北洪川(いまきたこうせん)に師事し、洪川の寂後は釈宗演(しゃくそうえん)につき、重ねて円覚寺に参禅を続けた。大拙の名はこの宗演から受けた居士(こじ)号である。1892年(明治25)9月、東京帝国大学文科大学選科に入学、1895年9月同科修了。選科への入学は同郷の学友西田幾多郎(にしだきたろう)の勧誘による。1897年、宗演の推薦により渡米、イリノイ州ラサルのオープン・コート出版社The Open Court Publishing Companyの編集員として勤めながら勉学に励み、1900年(明治33)30歳のとき、馬鳴(めみょう)(アシュバゴーシャ)の『大乗起信論(だいじょうきしんろん)』の訳注、すなわち『Açvaghosha's Discourse on the Awakening of Faith in the Mahayana』をオープン・コート出版社から、続けて1907年に『Outlines of Mahayana Buddhism』(『大乗仏教概論』)をロンドンのルザック社Luzac and Companyから、翌1908年にオープン・コート出版社からまた刊行するに及んで、大拙の名は新進の仏教学者として、一躍して欧米に知られた。在米12年、39歳のとき帰国、この年10月東京帝国大学文科大学講師、ついで学習院講師となり、のち学習院教授に昇進。41歳のときアメリカ人のビアトリース・レーンBeatrice Erskine-Lane(1878―1939)と結婚、1921年(大正10)3月、真宗大谷大学教授に転じた。昭和41年7月12日、96歳の生涯を閉じるまで旺盛(おうせい)な研究活動を続け、英文の著書30余冊、和文の著書120余冊を残したことは有名。英文の名著に『Zen Buddhism and Its Influence on Japanese Culture』(『禅と日本文化』。のちに『Zen and Japanese Culture』として改訂)、『Essays in Zen Buddhism』3巻など数々があり、禅をZENとして世界に定着させた功績は大きい。また晩年の労作に親鸞(しんらん)の『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』の英訳がある。第二次世界大戦後10年間はまたアメリカに滞在し、コロンビア大学、ハーバード大学にて仏教思想を講じた。1945年(昭和20)鎌倉東慶寺内に財団法人松ヶ岡文庫を設立、1949年日本学士院会員となり、同年文化勲章を受けた。

[古田紹欽 2017年8月21日]

『『鈴木大拙全集』全32巻(1968~1971/増補新版、全40巻・1999〜2003・岩波書店)』『久松真一・山口益・古田紹欽編『鈴木大拙――人と思想』(1971・岩波書店)』


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改訂新版 世界大百科事典 「鈴木大拙」の意味・わかりやすい解説

鈴木大拙 (すずきだいせつ)
生没年:1870-1966(明治3-昭和41)

仏教哲学者。本名貞太郎。金沢に生まれる。同郷の西田幾多郎,藤岡作太郎と親交を結び,加賀の三太郎と称された。22歳で上京,東京専門学校から東京帝国大学選科に進んだ。学生時代,鎌倉円覚寺の今北洪川(こうせん),釈宗演(しやくそうえん)に参禅,大拙の道号を受けた。1897年渡米し,イリノイ州の出版社オープン・コートに入り,哲学者ポール・ケーラスを助けて東洋学関係の出版に従事するかたわら,《老子道徳経》《大乗起信論》を英訳し,《大乗仏教概論》を英文で出版した。1909年帰国し,東京帝国大学や学習院で教鞭をとったが,21年大谷大学教授として京都に移った。やがて東方仏教徒協会を設立し,英文雑誌《イースタン・ブディスト》を創刊して,仏教や禅思想を広く世界に紹介した。49年文化勲章を受章。英文,邦文による著書,論文はおびただしい数にのぼるが,それらは《鈴木大拙全集》(30巻,別巻2)におさめられている。
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百科事典マイペディア 「鈴木大拙」の意味・わかりやすい解説

鈴木大拙【すずきだいせつ】

仏教学者,禅の欧米への紹介者。金沢の生れ。本名貞太郎(ていたろう)。1887年,以後親交を結ぶ西田幾多郎(きたろう)とともに四高に編入学。1891年鎌倉円覚(えんがく)寺で今北洪川(いまきたこうせん),釈宗演(しゃくそうえん)につき参禅。1897年渡米してP.ケーラスに師事した。1900年《大乗起信論》を英訳,1907年英文で《大乗仏教概論》を出版。1909年帰国して東大講師,学習院教授となり,1911年米人ビアトリス・レーンと結婚。1921年大谷大学教授となり,東方仏教徒協会を設立。以後,仏教と禅を世界に紹介するため努力した。1949年文化勲章。著書《禅と日本文化》など多数。
→関連項目エラノス会議ケージ釈宗演妙好人

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「鈴木大拙」の解説

鈴木大拙
すずきだいせつ

1870.10.18~1966.7.12

明治~昭和期の宗教学・仏教学者。本名貞太郎。金沢市出身。1895年(明治28)東大哲学科選科修了。円覚寺の釈宗演に師事,その推薦で渡米。在米12年間に独学で仏教思想を研究。仏典の英訳や英文による「大乗仏教概論」「禅と日本文化」などの刊行で海外への禅および仏教思想の普及に功績を残した。万国宗教史学会東洋部副会長に就任。帰国後は東京帝国大学・大谷大学などで教鞭をとる一方,東方仏教徒協会・松ケ岡文庫の設立など精力的に活躍する。東洋的知こそが,いきづまった西洋合理主義の世界を克服する道という彼の文明批評は,世界の思想家たちに影響を及ぼした。1949年(昭和24)学士院会員,文化勲章受章。「鈴木大拙全集」全32巻。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鈴木大拙」の解説

鈴木大拙 すずき-だいせつ

1870-1966 明治-昭和時代の仏教学者。
明治3年10月18日生まれ。帝国大学にまなび,鎌倉円覚寺の今北洪川(こうせん),釈宗演(しゃく-そうえん)に師事。明治30年アメリカにわたり,「大乗起信論」の英訳,「大乗仏教概論」の英文出版をおこなう。42年帰国後学習院教授,大谷大教授。英文雑誌「イースタン-ブディスト」を創刊,アメリカの大学でおしえ,仏教や禅思想をひろく世界に紹介した。昭和24年文化勲章。昭和41年7月12日死去。95歳。加賀(石川県)出身。本名は貞太郎。著作に「禅と日本文化」など。
【格言など】絶対の威力に生きて責任をもたぬものあり,名を国家と云う(昭和17年西田幾多郎への手紙)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鈴木大拙」の意味・わかりやすい解説

鈴木大拙
すずきだいせつ

[生]明治3(1870).10.18. 金沢
[没]1966.7.12. 鎌倉
仏教思想家。本名は貞太郎。東京大学選科卒業後,27歳のとき渡米。『大乗起信論』の英訳 ("The Discourse on the Awakening of Faith in the Mahayana"1900) などにより仏教特に禅思想を欧米に紹介し,帰国後は学習院大学教授となる。 41歳のときアメリカ女性ビアトリス・レーンと結婚。 1945年鎌倉に松ヶ岡文庫を創立した。この頃からアメリカの諸大学で講義を続け,日本文,英文の膨大な著書や論文を残している。 49年文化勲章受章。『鈴木大拙全集』 (30巻,別巻2巻,68~71) がある。

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