金門五山桐(読み)きんもんごさんのきり

精選版 日本国語大辞典 「金門五山桐」の意味・読み・例文・類語

きんもんごさんのきり【金門五山桐】

歌舞伎時代物。五幕。初世並木五瓶(ごへい)作。安永七年(一七七八大坂中の芝居初演。盗賊石川五右衛門を脚色した最初の作品。五右衛門と巡礼姿の真柴久吉との出会う二幕目返し、南禅寺山門の場が名高い。寛政一二年(一八〇〇)以後「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」の名題で上演された。

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デジタル大辞泉 「金門五山桐」の意味・読み・例文・類語

きんもんごさんのきり【金門五山桐】

歌舞伎狂言時代物。5幕。初世並木五瓶なみきごへい作。安永7年(1778)大坂かどの芝居初演。盗賊石川五右衛門の話を脚色したもので、南禅寺山門の場がよく上演される。楼門さんもん五三桐。

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改訂新版 世界大百科事典 「金門五山桐」の意味・わかりやすい解説

金門五山桐 (きんもんごさんのきり)

歌舞伎狂言。通称楼門(さんもん)》。1778年(安永7)4月大坂小川吉太郎座(角の芝居)で初演。初世並木五瓶(当時五兵衛)作。1800年(寛政12)江戸で初演の際《楼門五山桐(さんもんごさんのきり)》と改題。今日では《楼門五三桐》の名題で上演されることが多い。戦国時代の盗賊石川五右衛門を主人公とし,豊臣秀吉朝鮮出兵を背景として描く。五右衛門の正体を,真柴久吉(秀吉のこと)に滅ぼされた竹地(明智のこと)光秀に養育された惟任左馬五郎とし,その左馬五郎がさらに久吉に恨みをもつ大明の宋蘇卿(そうそけい)の子であったという,18世紀中葉の大坂で流行した謀反人劇仕立ての構想をもつ。実際には出会うはずもないであろう五右衛門と久吉を対面させる〈南禅寺山門の場〉が中心。唐様の極彩色の山門の楼閣に,大盗賊が用いる大百日(だいびやくにち)の鬘に縕袍どてら)姿,誇張した大きな煙管をくわえて隠れ住む五右衛門が,飛んできた鷹の報せで宋蘇卿の一子であることを知り,久吉への復讐を誓うと,山門がセリ上がり,同時に久吉が巡礼姿で現れ,山門の柱に五右衛門の辞世の句〈石川や浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ〉を落書する。その声を聞いた五右衛門が手裏剣をうち,久吉がひしゃくで受け止める。ただこれだけの単純な幕だが,この一幕のみが,今日まで舞台生命を保つ。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「金門五山桐」の意味・わかりやすい解説

金門五山桐
きんもんごさんのきり

歌舞伎(かぶき)脚本。時代物。5幕。並木五瓶(ごへい)作。1778年(安永7)4月、大坂・角(かど)の芝居で初世嵐雛助(あらしひなすけ)らにより初演。大盗賊石川五右衛門(ごえもん)を脚色した代表的な歌舞伎作品。真柴久吉(ましばひさよし)(豊臣(とよとみ)秀吉)の養子久次(ひさつぐ)の臣此村大炊之助(このむらおおいのすけ)が実は明(みん)国人宋蘇卿(そうそけい)で、日本掌握の陰謀が破れて自滅したあと、遺児石川五右衛門が父の志を継いで久吉をねらう話であるが、近年は原作の二幕目返し「南禅寺山門」だけが独立、『楼門(さんもん)五三桐』の名題(なだい)でしばしば上演される。通称「山門」。南禅寺山門の楼上で景色に見とれていた五右衛門は、飛んできた白鷹(はくたか)のくわえた絹の血書から、自分を宋蘇卿の遺児と知る。五右衛門は眼下に現れた巡礼を父の敵(かたき)久吉の変装と見破り、手裏剣を打つが、久吉は軽く受け止めて別れる。十数分の短い場面であるが、五右衛門の「絶景かな絶景かな」の名台詞(せりふ)と、豪華な山門の大道具をセリ上げるスペクタクルで、様式美を結集した一幕。なお、近年の通し上演として3世市川猿之助の研究公演「春秋会」(1967)と、国立劇場の自主公演によるものがある。

[松井俊諭]

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「金門五山桐」の解説

金門五山桐
きんもん ごさんのきり

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
作者
並木五兵衛 ほか
補作者
近松徳叟 ほか
初演
安永7.4(大坂・小川座)

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