金錫文(読み)きんしゃくぶん

世界大百科事典(旧版)内の金錫文の言及

【洪大容】より

…35歳のとき書状官に選ばれた叔父の随員として北京に旅行し,ドイツ人の欽天監正(天文台長)と対等にわたりあったこと,またこのとき出会った厳誠ら杭州の三遊士との友情は有名。彼の名を不朽にするものは作品《毉(い)山問答》中に展開されている地球自転説(創唱は半世紀前の金錫文)を含む東アジア初の宇宙無限の主張であろう。全集に《湛軒書》がある。…

【地動説】より

…実際,ヨーロッパ語では〈地動説〉に当たる語は熟していない(英語ではhelio‐centric model,helio‐centric theoryがふつうである)。しかし,地球の回転運動の可能性は通常の意味での自転,公転以外にもあり,例えば,朝鮮での金錫文(1658‐1735)のように非常に大きな時間のなかでの地球の回転を考えるような〈地動説〉もありうる(金錫文は今日でいう自転も認めていたと解される)。さらに,ちょうどヨーロッパ天文学の導入期に当たって,その影響を受けているとはいえ,同じ朝鮮の洪大容の説の場合のように,自転のみを認めるという事例,あるいは次に述べるギリシアのフィロラオスやヘラクレイデスのように太陽を中心としない地動説の事例もある。…

※「金錫文」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」