金載圭(読み)きんさいけい

世界大百科事典(旧版)内の金載圭の言及

【韓国中央情報部】より

…73年8月東京で起きた金大中事件や元KCIA部長の金炯旭(きんけいきよく)によって暴露された対米議会不正工作事件,本国における在日韓国人大量逮捕事件などに関与し,国内外の反政府活動規制に猛威を振るった。79年10月,7代目部長の金載圭が朴大統領を射殺した後,改編が進められ,全斗煥政権下では〈国家安全企画部〉(ANSP)と改称された。82年盧信永外相が部長となり,85年2月には盧の首相昇格で張世東大統領警護室長が部長に就任するなど,依然重要な側近を配置して機能強化を図っている。…

【大韓民国】より

…その指導者で野党の大統領候補であった金大中(1925‐ )が,政敵抹殺をねらった朴政権によって73年8月に東京で拉致されると,南北対話は中断され,日韓関係も以後緊張の度を加えていくことになる。維新体制に対する民衆の批判を高度経済成長の実現によってかわしながら長期政権を維持した朴正熙は,79年の第2次石油危機を契機とする不況と,それを背景とした労働運動の高揚,野党=新民党(総裁,金泳三)の急進化,釜山・馬山の民衆暴動等の一連の政治的危機の深まりのなかで,10月26日に腹心の部下である金載圭中央情報部長に射殺され,衝撃的な最期を遂げた。 以後80年前半にかけて民主化運動は急激に発展,次の政権をねらう野党系の金大中,金泳三(1927‐ )と朴政権直系の金鍾泌(1926‐ )が民主化で歩調を合わせ,〈三金時代〉と呼ばれる韓国政治の新時代が始まるかにみえたが,急速な政治変革を恐れた軍部は,80年5月17日の非常戒厳令の全国化によって実権を掌握し,抵抗する光州の学生・市民多数の虐殺(光州事件,85年の政府報告では死者192人)を通して,再び軍人中心の全斗煥(1931‐ )政権(第5共和国)を成立させた。…

【朴正熙】より

…軍人的,上意下達式な強権支配はセマウル運動などを通して経済の高度成長を達成するうえで効果はあったが,他方で不正腐敗,貧富の格差拡大といったひずみも広げた。74年8月には在日韓国人青年文世光による大統領狙撃事件によって夫人陸英修を失い,79年にはみずからも側近の金載圭中央情報部長に殺害されるという,悲劇的な生涯であった。【猪狩 章】。…

※「金載圭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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