金町村(読み)かなまちむら

日本歴史地名大系 「金町村」の解説

金町村
かなまちむら

[現在地名]葛飾区金町一―六丁目・東金町ひがしかなまち一丁目・同三―八丁目・柴又しばまた三丁目・金町浄水場かなまちじようすいじよう

新宿にいじゆく町の東に位置。東は江戸川を限り下総国葛飾郡松戸町・上矢切かみやきり(現千葉県松戸市)、南は柴又村、北は下小合しもこあい村および古利根ふるとね川を隔て高須たかす(現埼玉県三郷市)。水戸道が通り、江戸川渡河点には金町・松戸関所が置かれ、関所一帯は金町御番所かなまちおばんしよ町とよばれた。

正中二年(一三二五)九月七日の関東下知状(三浦和田文書)に「下総国金町郷」とみえ、和田茂長の女子平氏と姉平氏が亡母の遺領である当地などをめぐり相論をしたが、和与をしたため幕府がこれを認めている。亡母とは葛西新左衛門入道経蓮清経の女のことで、遺領のうちに「金町郷田壱町内田弐段」とある。応永五年(一三九八)八月日の葛西御厨田数注文写(鏑矢記)には「金町 十一町七段半 公田一町七反小」とみえ、葛西かさい御厨の内であった。また年月日未詳の葛西御厨入部注文写(同書)には「金町 十二町四段半」、年月日未詳の葛西御厨田数注文写(同書)には「金町 十三町四段半」と記される。同田数注文写によると猿俣さるがまた・小鮎・飯塚いいづかとともに香取社宝殿造営役所とされており、下総香取神宮遷宮の際には宝殿造営料が課されていた。北条氏所領役帳には「萩野」分として「拾七貫文 葛西金町内半分 此半役八貫五百文 当年改被仰付」、「豹徳軒」として「卅四貫八百文 葛西金町半分領主如申辻」 とみえる。

金町村
かねまちむら

[現在地名]栃尾市金町一―二丁目・中央公園ちゆうおうこうえん東が丘ひがしがおか

刈谷田かりやだ川と西谷にしだに川の合流点付近、西谷川左岸の栃尾浦とちおうら村との間に開田された村。もとはとちヶとよばれた地域(「天正村名考」温古之栞)で、金沢かなざわ村に属した川原であった。正保二年(一六四五)検地帳(那須正丘氏蔵)の表紙には「古志郡金沢村之内栃尾町作分」と記し、扉に「金沢町分」とある。同検地帳の宝暦五年(一七五五)の貼紙によると、もとは金沢村地内にあって村立てはなく、屋敷は栃尾町とちおまち村にあったが、金沢村・栃尾町村双方からの願いにより一村扱いとされて金町村となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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