金沢区(読み)カナザワク

デジタル大辞泉 「金沢区」の意味・読み・例文・類語

かなざわ‐く〔かなざは‐〕【金沢区】

金沢

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「金沢区」の解説

金沢区
かなざわく

面積:二九・八二平方キロ

市の最南端に位置し、北は磯子いそご区、西は戸塚とつか区・鎌倉市、南は逗子ずし市・横須賀市に隣接し、東は房総半島を望んで東京湾に面する。北西は円海えんかい山から鎌倉山に続く最高地標高一五六・八メートルの山塊を負う。南東から海風を受けるため、山塊の麓は市の中心部に比して夏涼しく冬暖かい。海岸寄りにある野島のじま貝塚・称名寺しようみようじ貝塚など縄文時代の標式遺跡の存在が知られる。

金沢の地名は正嘉二年(一二五八)四月二三日の伝法灌頂雑要抄(称名寺蔵)に「倉城郡六浦庄内金沢村」とあるのが初見で、古くは「かねさわ」とよばれた。

〔古代・中世〕

和名抄」所載の武蔵国久良くらき鮎浦ふくら郷は、袋形に山裾深く入込んだ古金沢入江の周辺に比定される。古代鮎浦郷が転じて六浦むつら郷となり、ここを中心に中世には六浦庄となったとみられる。「吾妻鏡」宝治元年(一二四七)六月六日条に「六浦庄」とみえ、宝治合戦に敗れた三浦氏らの与党人が荘内に群居しているとの情報で、幕府は北条実時らに命じて彼らを追捕しようとしたとある。同書建保元年(一二一三)五月六日条には、和田合戦において和田義盛にくみして討死した武士のなかに「六浦三郎・同平三・同六郎・同七郎」の名がみえ、彼らが六浦庄の在地領主であったものと考えられ、彼らの滅亡後、北条氏の所領となったとみられる。

北条氏は天然の良港である六浦入江に着目し、これを鎌倉の外港として利用するとともに、三浦氏や千葉氏を牽制するために、この地を一族の北条実泰に与えた。同書仁治元年(一二四〇)一一月三〇日条によると、鎌倉と六浦津の中間に道路を開く議が定まり、翌年四月五日執権北条泰時自ら監督して工事に当たっている。これが六浦道とも朝比奈あさひな切通ともいわれる道である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「金沢区」の意味・わかりやすい解説

金沢〔区〕
かなざわ

神奈川県東部,横浜市南端の区。 1948年磯子区から分離して区制。古くは「カネサワ」といい,釜利谷 (かまりや) 付近で鉄錆が多く出たことに由来するといわれる。海岸では早くから沿岸漁業とノリの養殖が行われた。軍都の横須賀市に接するため,第2次世界大戦が終るまで,軍の要塞地に指定されていた。戦後は市では残り少い自然海岸として海水浴,釣りなどの行楽地であったが,国道 16号線,京浜急行電鉄沿いに工場,住宅が建設され,地先に大規模な埋立てが造成された。その一方で臨海部の開発が盛んで,全長 1kmの人工砂浜の海の公園や野島公園のほか,93年には八景島に水族館,遊園地などを含む八景島シーパラダイスがオープンした。コンピュータ制御の鉄道金沢シーサイドラインが京浜急行電鉄金沢八景駅と JR根岸線新杉田駅との間を走る。内陸の丘陵地には大規模な宅地開発が進んでいる。南東部の金沢町に数点の国宝を所蔵する称名寺がある。境内史跡に指定され,金沢文庫がある。鎌倉七切通しの1つ,史跡の朝夷奈 (朝比奈) 切通しで鎌倉に通じる。湾岸を国道 357号線が通り,西部を横浜横須賀道路が通る。面積 30.96km2。人口 19万8939(2020)。

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