金沢勘右衛門(読み)かなざわ・かんえもん

朝日日本歴史人物事典 「金沢勘右衛門」の解説

金沢勘右衛門

没年元禄4.閏8.9(1691.9.30)
生年:生年不詳
江戸前期の測量家。父刑部左衛門は肥前国島原城(長崎県)城主高力高房の家臣で,長崎の樋口権右衛門(謙貞。のちの小林義信)からオランダ人カスパル伝授の測量術を学んだが,主家改易のため浪人し,技術を長子清左衛門に伝えた。勘右衛門は次男で,兄に学ぶ。天和2(1682)年津軽藩津軽信政に金8両4人扶持の勘定人として迎えられ,弟子清水貞徳貞享3(1686)年弘前へ下り,領内絵図を作った。元禄3(1690)年再度藩地へ赴き,黒石領の絵図を作った。同年末,150石取り藩士に挙げられ,藩主側近となったが,翌年没。長子喜太郎が相続したが,同11年失踪し,同家は津軽藩から消えた。

(石山洋)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「金沢勘右衛門」の解説

金沢勘右衛門 かなざわ-かんえもん

1638-1691 江戸時代前期の測量家。
寛永15年生まれ。金沢刑部左衛門の次男。金沢清左衛門の弟。兄にまなび,天和(てんな)2年(1682)陸奥(むつ)弘前(ひろさき)藩(青森県)の江戸定府(じょうふ)の勘定方となる。貞享(じょうきょう)のころ弟子の清水貞徳(さだのり)とともに津軽にいき,領内の測量に従事し,精巧な絵図をつくった。元禄(げんろく)4年閏(うるう)8月9日死去。54歳。

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