金毘羅街道(読み)こんぴらかいどう

日本歴史地名大系 「金毘羅街道」の解説

金毘羅街道
こんぴらかいどう

金毘羅大権現(現金刀比羅宮)への参詣路の総称で、「こんぴらみち」として庶民に親しまれ、金毘羅信仰が全国的に広まった江戸中期から明治にかけて発達した。参詣者が全国から集まったので、参詣道は金毘羅からそれぞれの行先地を街道名としてよび、おもな街道は丸亀・金毘羅街道、多度津・金毘羅街道、高松・金毘羅街道、伊予土佐街道阿波・金毘羅街道の五つであった。

江戸方面や近畿地方からの参詣客は、大坂からの金毘羅船で丸亀に上陸した。延享元年(一七四四)に讃岐出身の船宿多田屋新右衛門が金毘羅船を仕立てたいと金毘羅金光こんこう院に願出て許された頃から、定期船が多くなったという。丸亀の港は文化三年(一八〇六)福島ふくしま湛甫、天保四年(一八三三)新堀しんぼり湛甫が築造されるなど、金毘羅の会式の時には金毘羅船で賑った。参詣客は丁石に導かれ、郡家ぐんげ(現丸亀市)与北よぎた(現善通寺市)公文くもん(現仲多度郡満濃町)茶屋で喉をうるおし、一五〇町の道を歩いて金毘羅の新町横しんまちよこ町にたどりついた。この街道には現在、石鳥居二・銅灯籠一・石灯籠一八・石の道標六・丁石一九が残る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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