金時習(読み)きんじしゅう(英語表記)Kim Si-sǔp

改訂新版 世界大百科事典 「金時習」の意味・わかりやすい解説

金時習 (きんじしゅう)
Kim Si-sǔp
生没年:1435-93

朝鮮,李朝前期の文学者。字は悦卿,号は梅月堂,東峰。幼年時代から神童誉れ高く学問に志したが,世祖端宗を廃して王位奪した(1455)のに悲憤慷慨し,書物を焚いて僧衣をまとい放浪の旅に出た。狂人をもって自処し,中年に一時還俗したが,隠退と放浪の生活を繰り返し,59歳を一期に鴻山の無量寺で多情多恨の生涯を終えた。その間多くの詩文と仏教儒教に関する卓越した著述をのこし,後世実学思想の形成に大きく影響したといわれる。《梅月堂集》(癸丑字本23巻11冊)が伝わる。《金鰲新話(きんごうしんわ)》は朝鮮の小説の濫觴をなし,彼の名を文学史に不朽にとどめる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「金時習」の意味・わかりやすい解説

金時習
きんじしゅう / キムシスプ
(1435―1493)

朝鮮、李朝(りちょう)初期の文章家。字(あざな)は悦卿(えっきょう)、号は梅月堂。李朝第7代王の世祖が幼い甥(おい)の端宗を殺して王位を奪ったのを怒り、僧となった「生六臣」の一人。幼時から天才の誉れが高かったが、科挙に応ぜず、放浪の一生を送った。のちに金鰲(きんごう)山に入り山房を建ててこもり、朝鮮文学史上初めての漢文小説集『金鰲新話』を書いた。現在完本は伝えられないが、現存する『万福寺樗蒲記(ちょほき)』『李生窺墻伝(りせいきしょうでん)』など5編は朝鮮の小説の嚆矢(こうし)といわれている。47歳で還俗(げんぞく)。『梅月堂集』17巻など多くの著書を残した。儒教と仏教の精神をあわせもつ思想家、また優れた名文家として一世を風靡(ふうび)した。

[尹 學 準]

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百科事典マイペディア 「金時習」の意味・わかりやすい解説

金時習【きんじしゅう】

朝鮮の李朝時代の文人。号は梅月堂。七代世祖がクーデタで王位についたので,政権に仕えることを拒否し,僧となり47歳で還俗するまで放浪する。儒・仏の混合した彼の文は《梅月堂集》に収められる。僧として金鰲(きんごう)山にいる時書いたとされる《金鰲新話》は中国の《剪灯新話》のスタイルで書かれた伝奇小説だが原稿が失われて隠滅していた。ところが,このうちの5話は日本に伝わり,江戸時代に少なくとも三度刊行され,当時の怪奇文学に影響を与えた。浅井了意の《御伽婢子》には2話の翻案が収録されている。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「金時習」の意味・わかりやすい解説

金時習
きんじしゅう
Kim Sisǔp

[生]世宗17(1435)
[没]成宗24(1493)
朝鮮,李朝前期の作家。字,悦卿。号,梅月堂,東峰。幼年時代から神童の誉れが高かったが,首陽大君 (のちの世祖) が甥の端宗を殺して王位を奪ったことを知り,書物を焼き捨てて僧となった。のち慶州の金鰲山 (こんごうさん) に隠遁し著述に専念。短編集『金鰲新話』は中国明初の『剪燈新話 (せんとうしんわ) 』の影響を受けたものであるが,きわめて独自性の豊かな作品である。李朝漢文小説の最初の代表作であるばかりでなく,日本でも承応2 (1653) 年翻刻され,浅井了意の『御伽婢子 (おとぎぼうこ) 』にも,その影響がみられる。ほかに『梅月堂集』 (癸酉字本 23巻,11冊) がある。

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世界大百科事典(旧版)内の金時習の言及

【金鰲新話】より

…朝鮮,李朝前期の漢文伝奇小説集。作者は金時習。執筆年代は慶州の金鰲山に居を構えた31歳から36歳(1466‐71)の間という説が有力。…

※「金時習」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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