20世紀日本人名事典 「金子 文子」の解説
金子 文子
カネコ フミコ
- 生年
- 明治37(1904)年1月25日
- 没年
- 大正15(1926)年7月23日
- 出生地
- 神奈川県横浜市
- 別名
- 別名=朴 文子,金子 活浪
- 経歴
- 大正2年山梨県杣口の母の実家に引きとられるが無籍だったため、小学校に通えず、3年朝鮮芙江に渡る。10年帰国上京。新聞売り、女中奉公、有楽町のおでん屋で働きながら苦学。11年朝鮮人朴烈と同棲、アナキスト団体“不逞社”を興し雑誌「太い鮮人」「現社会」を発行。12年9月の関東大震災2日後、朴烈とともに検束され、治安警察法違反で起訴後、不敬罪で追起訴。15年大審院で死刑判決、無期に減刑され服役中に自殺した。朴烈は敗戦後、帰国して政治家となった。予審取調室での朴との抱擁写真が出回り“怪写真事件”として政局を揺るがせた。死後、歌集「獄窓に想ふ」(昭和2年)、自伝「何が私をかうさせたか」(6年)が刊行される。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報