20世紀日本人名事典 「金子 光晴」の解説
金子 光晴
カネコ ミツハル
大正・昭和期の詩人
- 生年
- 明治28(1895)年12月25日
- 没年
- 昭和50(1975)年6月30日
- 出生地
- 愛知県海東郡越治村(現・津島市下切町)
- 本名
- 森 保和(モリ ヤスカズ)
- 旧姓(旧名)
- 大鹿,金子
- 学歴〔年〕
- 早稲田大学予科〔大正4年〕中退,東京美術学校〔大正4年〕中退,慶応義塾大学予科〔大正5年〕中退
- 主な受賞名〔年〕
- 読売文学賞(第5回・詩歌俳句賞)〔昭和28年〕「人間の悲劇」,歴程賞(第3回)〔昭和40年〕「IL」,芸術選奨文部大臣賞(第22回・文学評論部門)〔昭和46年〕「風流尸解記」
- 経歴
- 3歳の時、金子家の養子となり東京に移る。大正4年肺炎カタルを患い、詩作を始める。8年詩集「赤土の家」を出版し、美術商につれられて渡欧。10年帰国。12年フランス象徴詩の影響を受けた「こがね虫」で詩壇にデビューする。以後「水の流浪」「鱶沈む」などを発表。昭和3年から7年にかけて、妻の森三千代と共に東南アジアからヨーロッパを放浪し、12年に「鮫」を、15年に紀行文「マレー蘭印紀行」を刊行。戦時中は主として“抵抗と反戦の詩”を書きつづける。19年山中湖に疎開。戦後は「落下傘」「蛾」「鬼の児の唄」を次々に発表し、28年「人間の悲劇」で読売文学賞を受賞。その一方で、ボードレール「悪の華」やランボオ、アラゴンの詩集を翻訳する。「非情」「水勢」のあと、詩作はしばらく休止して自伝「詩人」などを発表し、40年「IL(イル)」を刊行し藤村記念歴程賞を受賞。その後も「若葉のうた」「愛情69」を発表し、46年小説「風流尸解記」で芸術選奨を受賞するなど幅広く活躍した。他に評論「日本人について」「絶望の精神史」「日本人の悲劇」、自伝小説「どくろ杯」、「金子光晴全集」(全15巻 中央公論社)がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報