金剛右京(読み)こんごううきょう

精選版 日本国語大辞典 「金剛右京」の意味・読み・例文・類語

こんごう‐うきょう【金剛右京】

能楽師金剛流二三世宗家東京出身。一六歳のとき、父の死により宗家をつぐ。以後は伯父金剛一次郎氏重に習い、さらに京都に移って金剛謹之助指導をうけた。金剛流の特徴早技にすぐれていた。明治五~昭和一一年(一八七二‐一九三六

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デジタル大辞泉 「金剛右京」の意味・読み・例文・類語

こんごう‐うきょう〔コンガウウキヤウ〕【金剛右京】

[1872~1936]能楽師。シテ方金剛流23世宗家。東京の生まれ。幼名、鈴之助。大胆華麗な演技で早技にも長じていたが、大和猿楽坂戸座から続く家筋坂戸金剛を廃絶させた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「金剛右京」の意味・わかりやすい解説

金剛右京
こんごううきょう
(1872―1936)

能のシテ方、金剛流23世宗家。初名鈴之助。実名氏慧(うじやす)。右京は金剛宗家の通り名で、4人がすでに名のっている。金剛泰一郎長男として東京に生まれ、16歳で宗家を継ぐ。辛苦の果てに鮮烈独自の芸風を完成。流儀の主張である早技(はやわざ)に秀でた。遺言により、彼の死をもって、鎌倉時代からの坂戸金剛の芸系は断絶となる。現金剛宗家は、京都の野村家が金剛姓となり、右京没後に他の四流宗家の推薦で新たに流儀をたてたもの。旧金剛座の由緒ある能面は、三井八郎右衛門(はちろうえもん)家の蔵(現三井文庫)となっている。

増田正造

『金剛右京談、三宅襄聞書『能楽芸話』(1971・檜書店)』

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朝日日本歴史人物事典 「金剛右京」の解説

金剛右京

没年:昭和11.3.27(1936)
生年:明治5.10(1872)
明治から昭和時代の能楽師。シテ方金剛流23代宗家。幼名鈴之助。本名は氏慧。22代金剛泰一郎兵衛氏善の嫡男。明治17(1884)年に祖父唯一,20年に父が相次いで没したため若くして宗家を継承し,大叔父の一次郎氏重に師事。25年には東京から京都に移り,弟子家の金剛勤之輔の指導を受ける。36年東京へ引き揚げ,著しく衰微していた流儀を統括,大正4(1915)年に市谷富久町に金剛舞台を新築するも,不幸にして程なく焼失する。寡黙,頑固といわれる性格は,逆境続きの境遇の影響であろう。演技は大胆華麗,金剛流特有の珍しい型や早業的な型で名を馳せた。

(石井倫子)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「金剛右京」の意味・わかりやすい解説

金剛右京
こんごううきょう

[生]明治5(1872).10. 東京
[没]1936.3.27. 沼津
能楽シテ方。金剛流。初名鈴之助。金剛泰一郎の長男として生れ,祖父唯一氏成や父の指導を受ける。 1887年父の死によって金剛流 23世家元となり,以後伯父金剛一次郎氏重に師事する。またのちに金剛謹之助を頼って京都に住むが,1903年に帰京,16年より九曜会,28年より若葉会を金剛流の月並能として主宰。その能は早技を得意とした。

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