釐金(読み)りきん(英語表記)lí jīn

精選版 日本国語大辞典 「釐金」の意味・読み・例文・類語

り‐きん【釐金】

〘名〙 中国の清末一八五三年に設けられた内国関税の一種太平天国の乱による財政窮乏に際し、従来課税範囲外の商品対象徴収各省の重要な収入源となり恒常的な課税となった。一九三一年撤廃。

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改訂新版 世界大百科事典 「釐金」の意味・わかりやすい解説

釐金 (りきん)
lí jīn

中国,清末の太平天国の乱に際し,軍費捻出を目的として制定された貨物通過税。釐金の名称は,従価100分の1(1釐)を課税することから出ている。刑部侍郎雷以諴(らいいかん)は,南京が陥落した1853年(咸豊3),揚州仙女鎮一帯の米商から,臨時戦費に当てるため捐金(えんきん)を徴発した。清朝政府もこれにならい,同年上海に釐局を設け,各地方にも兵餉(へいしよう)確保のために釐金の制を実施することを推奨した。その結果,55年に湖北湖南,江西,56年に奉天,新疆,57年に安徽福建,58年に広東河南,陝西,山東,59年に山西,60年に貴州に行われ,70年代初頭までには全国で施行されるにいたった。この盛行は,釐金が当初中央政府と関係がなく,各省みずから徴収,運用できたため,地方督撫にとって重要な財源となったからである。

 太平天国の乱が平定された後も釐金の制は継続された。釐金の種類は,発送地釐金(起釐・出産税),通過地釐金(行釐・過境税),到着地釐金(落地税・銷場税)の3種に分かれ,すべてが重課されたり,さらに行釐が局卡(きよくそう)(収税処)ごとに徴収されたりした。徴収方法も,釐金官みずからが徴収する散収のほか,郷紳による委任管理(紳辧)や商人による請負(包辧)などが行われ,それぞれに営利の源となった。また,課税対象も,一般貨物に課す場合と,茶,煙草,酒,砂糖,生糸,さらにアヘンに課す場合とでは税率が異なり,アヘンが最も高率であったが地方的差異も無視できない。このように複雑な通行税に対し,中国市場の拡大をねらう列強は強い批判を加え,58年の天津条約では輸出入正税(従価5%)以外に2.5%の子口税を納めれば釐金を免除することが定められた。次いで76年(光緒2)の芝罘(チーフー)協定(イギリスは批准せず)では開港場内の釐金を撤廃することとし,1902年の中英通商条約(マッケー条約)では,関税増徴の見返りに釐金を廃止することが規定されたが,実効はあがらなかった。

 辛亥革命以後,民国政府も釐金制度の改革に取り組み,釐金の名称を改めて歳入費目上では貨物税とし,出産税または銷場税として課すべきこととした。また,16年には国税・地方税の区分を立てて釐金を国税に編入し,地方釐金局の名称も,統捐局,税務公所,捐局などと変えた。その後,関税自主権を回復するに従って廃止の方向にすすみ,31年に撤廃された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「釐金」の意味・わかりやすい解説

釐金
りきん
Li-jin; Li-chin

中国,清末から民国にかけて徴収されていた内地関税の一種。太平天国鎮圧の軍費調達のため,咸豊3 (1853) 年江蘇省揚州で徴収されたのが始りで,全国に及び,太平天国鎮圧後も恒常化され,各省の重要財源となった。徴収は各省に一任されたが,課税対象,方法,地点,税率,徴収機構の設置などすべて恣意的に行われ,また外国商品や特権企業の商品は免除された。このため中国商品は割高となり,中国民族商工業の発展はきわめて困難であった。

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普及版 字通 「釐金」の読み・字形・画数・意味

【釐金】りきん

釐捐。

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