野沢吉兵衛(6代)(読み)のざわ・きちべえ

朝日日本歴史人物事典 「野沢吉兵衛(6代)」の解説

野沢吉兵衛(6代)

没年:大正13.6.4(1924)
生年明治1.9.6(1868.10.21)
明治大正期の文楽三味線の名手本名松井福松。大阪市の出身で8歳で6代目吉弥に入門,兵三,3代目吉三郎,7代目吉弥を経て明治40(1907)年に吉兵衛を襲名した。長く3代目竹本越路太夫の相三味線を勤め,6代目豊沢広助,3代目鶴沢清六と三幅対と称された。品格の高い芸風で世話物にすぐれ,また野沢一門を集めて野沢会結成,後進の育成に努めた。<参考文献>野沢勝平事加藤善一『野沢の面影』,『義太夫年表/明治篇,大正篇』

(山田庄一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野沢吉兵衛(6代)」の解説

野沢吉兵衛(6代) のざわ-きちべえ

1868-1924 明治-大正時代浄瑠璃(じょうるり)三味線方
慶応4年9月6日生まれ。義太夫節。6代野沢吉弥の門弟。兵三,3代吉三郎,7代吉弥をへて明治40年6代を襲名。3代竹本越路太夫の相方をつとめ,後進育成のために野沢会を組織した。大正13年6月4日死去。57歳。大坂出身。本名は松井福松。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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