朝日日本歴史人物事典 「野沢吉兵衛(3代)」の解説
野沢吉兵衛(3代)
生年:文政4(1821)
江戸末期の人形浄瑠璃三味線の名手。本名佐田屋市治郎。通称鬼吉兵衛。大坂生まれ。初代竹本越路太夫(はじめは三味線弾きで鶴沢勝鳳)の子。14歳で鶴沢文三に入門し市次郎,2代目勝鳳を経て天保11(1840)年に3代目吉兵衛を襲名,5代目竹本染太夫の「国性爺合戦」の三段目切を弾き,以後,5代目竹本春太夫を弾いた。門弟の亀次郎の美声に目をつけ春太夫に入門させて南部太夫と名乗らせ,やがて自ら三味線を弾いて2代目竹本越路太夫を襲名させたのが,のちの摂津大掾である。腕の強い芸で,旧来の曲に手を加えて当世風に工夫したという。野沢中興の祖と賛えられている。4,5代はいずれも3代目の門人が継いだ。<参考文献>野沢勝平事加藤善一『野沢の面影』
(山田庄一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報