野村上郷(読み)のむらかみごう

日本歴史地名大系 「野村上郷」の解説

野村上郷
のむらかみごう

嘉暦四年(一三二九)の鎌倉幕府下知状案(守矢文書)に「野村上・今井」とみえる。なお、「同庄内」と付記されているので、今井いまい(現下水内郡豊田村)とともに太田おおた庄内の一郷であった。またこの時の太田庄赤治(沼)郷の代官豊後大(太)夫判官をそのまま領主とはうけとりがたいが、豊後太夫判官は島津忠宗あたりに比定されているので(上水内郡誌)、野村上郷も島津氏の支配地とみなすこともできよう。しかしその伝領関係は明らかでないが、戦国時代の永禄一一年(一五六八)武田信玄が服属した島津孫五郎(義忠)本領を安堵し新規の地を宛行っている(「島津文書」県立長野図書館蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報