野島崎(読み)のじまざき

精選版 日本国語大辞典 「野島崎」の意味・読み・例文・類語

のじま‐ざき【野島崎】

千葉県安房郡白浜町にある房総半島最南端の岬。もと沖合の島であったが、元祿一六年(一七〇三)の大地震隆起してつながる。先端に明治二年(一八六九建設灯台があったが、今は新設。南房総国定公園の一中心

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デジタル大辞泉 「野島崎」の意味・読み・例文・類語

のじま‐ざき【野島崎】

千葉県、房総半島南端の岬。明治2年(1869)設置野島埼のじまさき灯台は国の登録有形文化財

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日本歴史地名大系 「野島崎」の解説

野島崎
のじまざき

[現在地名]白浜町白浜 野島

太平洋上に三三〇メートルほど突き出した岬。かつては一つの島であったが、元禄一六年(一七〇三)一一月の大地震による土地の隆起と大津波による土砂堆積とで陸続きになったと伝えられ、怒濤岩礁を噛む景勝地。聖護院道興は文明一八年(一四八六)八月頃に当地を訪れているが、「廻国雑記」に「こよひはこゝに通夜し、あくるあした名にしおふ野嶋が崎をみれば、朝ぎりこゝかしこに立消るさまたゞならず」と記し、「あまをふねみえつかくれつ朝あけの野しまか崎の霧の村々」と詠んでいる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「野島崎」の意味・わかりやすい解説

野島崎
のじまざき

千葉県南部,房総半島の最南端にある岬。南房総市に属する。もとは島であったが,元禄16(1703)年の元禄地震により隆起して半島とつながり,さらに 1923年の関東地震(→関東大震災)で隆起した。高さ 100mに及ぶ海食崖北風を防ぎ,黒潮の影響もあって,無霜地帯になっている。花卉や野菜の促成栽培が行なわれ,岩礁の多い海岸ではテングササザエなどが採取される。先端には明治2(1869)年建設の灯台がある。南房総国定公園に属し,大規模な観光ホテルや民宿,みやげ物店などが集中している。

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改訂新版 世界大百科事典 「野島崎」の意味・わかりやすい解説

野島崎 (のじまざき)

千葉県南端,南房総市にある岬。もとは島であったが,1703年(元禄16)の地震で隆起して半島状の岬となり,1923年の関東大地震で岩礁海岸となった。岬付近一帯は海岸段丘発達が顕著である。先端に1869年(明治2)に点灯した日本最初の洋式灯台野島埼灯台が標高40mの岩礁に立っている。海女によりアワビ,サザエ,テングサが採取され,海岸段丘では無霜地のため京浜市場向けの草花や野菜の促成栽培が行われる。南房総国定公園の一中心地で,旅館が多い。
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百科事典マイペディア 「野島崎」の意味・わかりやすい解説

野島崎【のじまざき】

千葉県房総半島最南端の岬。もと島であったが1703年の地震で隆起し半島状になる。15世紀の《廻国雑記》にみえ,江戸時代には伊豆半島と結ぶ航路もあった。岬には1869年建設の野島崎灯台(高さ38m,光達距離17カイリ)がある。海岸では海女のアワビ,サザエ,テングサ採取が盛ん。南房総国定公園に含まれ,房総フラワーラインが通じる。
→関連項目白浜[町]

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「野島崎」の意味・わかりやすい解説

野島崎
のじまざき

千葉県南部、南房総市(みなみぼうそうし)白浜(しらはま)町地区にある岬。房総半島最南端に位置する。突端に1868年建設の灯台がある。1703年(元禄16)の大地震で、野島が半島状につながり、さらに1923年(大正12)の関東地震の際、1.8メートルも隆起し、大岩礁地帯となった。南房総国定公園の観光拠点で、ホテル、民宿、土産(みやげ)物店、食堂などが集中しているが、一方、海女(あま)によるアワビ、サザエなどの磯根(いそね)漁業やキンセンカなどの花栽培を組み合わせた半農半漁業が行われる。

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