重宗芳水(読み)しげむね・ほうすい

朝日日本歴史人物事典 「重宗芳水」の解説

重宗芳水

没年:大正6.12.30(1917)
生年明治6.7.11(1873)
明治大正期の電気技術者,実業家岩国藩(岩国市)の小禄藩士の家に生まれた。上京して,遠縁に当たる三吉正一の電機工場に入り,明治22(1889)年から東京工手学校(工学院大の前身)に夜間通学,機械科で学んだ。三吉電機工場の日清戦争後の不調に際し,三吉に諭されて独立,30年に東京築地に明電舎を開業した。34年に三河電力社に100キロワット回転界磁型3相交流発電機を納め,その成績は舶来品にも劣らなかった。明治末期,東京に交流昼間電力が普及すると,精米,印刷などの中小工業者に「明電舎モートル」はひろく使われるようになった。100キロワット発電機は,三吉電機工場の同僚で米国帰りの小田荘吉(三吉正一の遠縁で岩国の出身)が設計したとも伝えられる。大正1(1912)年棚倉電気を創立,6年明電舎を株式組織として初代社長に就任したが,同年に45歳で死去。<参考文献>重宗雄三編『重宗芳水伝』

(高橋雄造)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「重宗芳水」の意味・わかりやすい解説

重宗芳水
しげむねほうすい
(1873―1917)

実業家。山口県の江木家に生まれ、のち母方の姓を継ぐ。1887年(明治20)三吉電機工場に入る。苦学して91年工手学校を卒業。94年電燈(でんとう)電力機械部主任となる。97年独立して電燈電力諸機械製造工場を創設。明電舎の創始である。1901年(明治34)三河電力の注文で100キロワット回転界磁型三相交流発電機を製作。04年陸軍注文の発火機を製造し、経営の基礎を築いた。以後、三相化した「明電舎モートル」や無線電信用高周波発電機をつくって名声を高めた。その後電燈電力や電気化学事業に着目して1912年(大正1)棚倉電気を創立、社長となった。17年明電舎を株式会社組織に改め、社長に就任。

[前田和利]

『重宗雄三編『重宗芳水伝』(1934・故重宗芳水君伝記編纂会)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「重宗芳水」の解説

重宗芳水 しげむね-ほうすい

1873-1917 明治-大正時代の実業家。
明治6年7月11日生まれ。三吉電機工場勤務をへて,明治30年東京築地で明電舎を創立。三相交流発電機,柱上変圧器などで業績をのばす。大正元年棚倉電気を創立して電灯分野に進出。6年明電舎を株式組織にし,初代社長となる。大正6年12月30日死去。45歳。山口県出身。東京工手学校卒。旧姓は江木。

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