重命(読み)ちょうみょう

朝日日本歴史人物事典 「重命」の解説

重命

生年生没年不詳
鎌倉中期の絵仏師朝命とも。尊蓮と号す。尊智弟子。貞永1(1232)年,興福寺十大弟子像(6体が現存)・八部衆像(現存)の修復に加わる。建長5(1253)年,奈良永久寺真言堂十二天像と四天王像(米・ボストン美術館蔵)を描く。このとき,法橋とされる。文永5(1268)年,元興寺極楽坊聖徳太子像(現存)の彩色に参加。9年,永久寺観音堂不動八大童子像(東京・観音寺蔵)の制作に加わる。永仁3(1295)年,東大寺中太鼓の彩色を命じられる。南都(奈良)において活動した。<参考文献>柳澤孝「ボストン美術館蔵の四天王図」(『在外日本の至宝』1巻)

(長谷川稔子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「重命」の解説

重命 ちょうみょう

?-? 鎌倉時代の絵仏師。
尊智(そんち)の弟子で,建長5年(1253)奈良永久寺真言堂仏後障子に十二天像,四天王像をえがいた。法橋。号は尊蓮。名は朝命とも。

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