里村昌琢(読み)さとむらしょうたく

精選版 日本国語大辞典 「里村昌琢」の意味・読み・例文・類語

さとむら‐しょうたく【里村昌琢】

江戸初期の幕府連歌師里村昌叱息子、母は紹巴の娘。初め景敏。法眼。貞門談林にも影響をあたえた。作品集「昌琢句集」、編著「類字名所和歌集」。天正二~寛永一三年(一五七四‐一六三六

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デジタル大辞泉 「里村昌琢」の意味・読み・例文・類語

さとむら‐しょうたく〔‐シヤウタク〕【里村昌琢】

[1574~1636]江戸初期の連歌師。名は景敏。紹巴没後の連歌界の第一人者となった。門人西山宗因らがいる。著「昌琢句集」など。

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朝日日本歴史人物事典 「里村昌琢」の解説

里村昌琢

没年:寛永13.2.5(1636.3.12)
生年:天正2(1574)
連歌作者。名は景敏。号は懐恵庵など。安土桃山時代の連歌作者昌叱の子。母は紹巴の娘。里村南家を継いだ。慶長13(1608)年,35歳で法橋に叙す。元和3(1617)年8月将軍徳川秀忠より采地100石の御朱印を受け,連歌の家としての保証を得る。寛永3(1626)年後水尾天皇から古今伝授を受け,同5年御城連歌に勤仕し,宗匠となる。同9年法眼。連歌界の第一人者で,斎藤徳元,松江重頼,西山宗因らの有名俳人もその門下。編著『類字名所和歌集』ほか。<参考文献>小高敏郎『ある連歌師の生涯

(加藤定彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「里村昌琢」の解説

里村昌琢 さとむら-しょうたく

1574-1636 織豊-江戸時代前期の連歌師。
天正(てんしょう)2年生まれ。里村南家の里村昌叱(しょうしつ)の長男。母は里村紹巴(じょうは)の娘。元和(げんな)3年徳川秀忠より100石をうけ,連歌の家を保証された。寛永3年後水尾天皇から古今伝授をうけ,5年幕府連歌の宗匠,のち法眼。寛永13年2月5日死去。63歳。名は景敏。別号に懐恵庵,拝北庵。編著に「類字名所和歌集」,句集に「昌琢句集」。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「里村昌琢」の意味・わかりやすい解説

里村昌琢
さとむらしょうたく

[生]天正2(1574)/天正3(1575).京都
[没]寛永13(1636).2.5. 京都
江戸時代前期の連歌作者。昌叱 (しょうしつ) の子。名,景敏。別号,懐恵庵,拝北庵,竹庵。当代連歌界の重鎮で,花の本 (もと) 宗匠となり法眼に叙せられた。西山宗因,松江重頼などの俳人にも影響を与えた。主著『類字名所和歌集』 (1617) 。

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世界大百科事典(旧版)内の里村昌琢の言及

【昌琢】より

…江戸初期の連歌師。姓は里村,名は景敏,号は懐恵庵,拝北庵,竹庵。京都の人。昌叱(しようしつ)を父とし紹巴(じようは)の娘を母として名門里村家に生まれ,南家の2代目を継いだ。1608年(慶長13)法橋となり,26年(寛永3)後水尾上皇より古今伝授を受けた。門人に宗因,重頼ら有数の俳諧師もいる。寛永13年2月5日没。享年62(または63)歳。〈衣をるしづはた山か雲かすみ〉(《昌琢句集》)。【乾 裕幸】…

※「里村昌琢」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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