ことわざを知る辞典 「釈迦に説法」の解説
釈迦に説法
[使用例] 「あなたは、心理試験というものの弱点について考えられたことがありますかしら。〈略〉こんな事を御話するのは釈迦に説法かも知れませんね。でも、これは確かに大切な点だと思いますが、どうでしょう」「それは悪い場合を考えれば、そうでしょうがね。無論僕もそれは知ってますよ」判事は少しいやな顔をして答えた[江戸川乱歩*心理試験|1925]
[使用例] さすがに恭介が苦い顔をしたので、大屋裕も自分の失言に気がついたらしい。〈略〉「これは失礼、先生が医学博士だということはすっかり忘れていましたよ。まったく、釈迦に説法ですねえ」と、ぬけぬけと言ってのけたのである[高木彬光*死神の座|1960]
[解説] 「釈迦」は仏教の開祖で、「説法」は仏教の教えを説くことですから、そんなことをすれば、まったくおかしなことになります。相手に対して失礼なのは当然ですが、自分の愚かさをさらけだし、恥ずかしいばかりか滑稽なことになりかねません。
用例をみると、相手が専門家と知らなかったり失念していたときに、失礼を詫びる場面や、知っていながら自説を述べるときに一言ことわっておく場面で、多く使われています。まがりなりにも「釈迦」にたとえられると、言われた者の怒りの矛先も多少鈍るといえるでしょう。古くは、「説法」の代わりに「
[類句]
〔英語〕Don't teach your grandmother to suck eggs.(おばあさんに卵の吸い方を教えるな)
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