醍醐家(読み)だいごけ

世界大百科事典(旧版)内の醍醐家の言及

【清華家】より

…すなわち三条家(俗称,転法輪)をはじめ,西園寺家およびその分流の今出川(菊亭)家徳大寺家(以上,閑院家流),また花山院家および大炊御門(おおいみかど)家(以上,花山院流)の藤原氏北家の流れをくむ6家に,源氏の久我(こが)家を加えた7家をいう。ところが江戸時代の初め,一条昭良(後陽成天皇の皇子)の男冬基が醍醐家を,また八条宮智仁親王の子忠幸が広幡家を興し,ともに清華家に列せられ,九清華となったが,この両家より太政大臣に昇った例はない。なお1884年7月の華族令の制定に当たっては,いずれも侯爵に列せられたが,三条家のみは当主実美の幕末維新の功業により公爵を授けられた。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」