醍醐の花見(読み)ダイゴノハナミ

デジタル大辞泉 「醍醐の花見」の意味・読み・例文・類語

だいご‐の‐はなみ【醍醐の花見】

慶長3年(1598)豊臣秀吉醍醐寺三宝院で開いた花見の宴。

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精選版 日本国語大辞典 「醍醐の花見」の意味・読み・例文・類語

だいご【醍醐】 の 花見(はなみ)

慶長三年(一五九八)に豊臣秀吉が京都醍醐寺の三宝院で行なった豪華な花見の宴。参会者は数百人におよび、宴の光景を描いた「醍醐花見図屏風」は有名。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「醍醐の花見」の意味・わかりやすい解説

醍醐の花見
だいごのはなみ

1598年(慶長3)3月15日、豊臣(とよとみ)秀吉が京都の醍醐寺で行った桜覧園遊会。朝鮮侵略泥沼に陥っていたとき、秀吉は正室北政所(きたのまんどころ)や淀君(よどぎみ)らの側室を連れての醍醐での花見を思い立った。花見のとき秀吉は奉行(ぶぎょう)や代官らに命じ、周囲に警固を巡らせたうえで醍醐の山々に趣向を凝らした茶屋を設けさせ、大ぜいの女房衆に仮装行列を行わせた。女房衆の衣装には目結絞(めゆいしぼ)り、鹿子(かのこ)絞り、金銀摺箔(すりはく)などの高級技法を凝らした小袖(こそで)や帯などが用いられた。衣装は3組つくられ、女房衆は三度の衣装替えをした。衣装の調達は花見の8日前、島津氏に命ぜられた。朝鮮に兵を出している島津氏はここでも莫大(ばくだい)な出費を強いられ、国元家老に廻送米(かいそうまい)、送銀について厳しい達しを出し、そのしわ寄せは島津領農民の年貢負担過重をもたらした。他の大名もこの花見に進物を寄せた。花見後、秀吉は醍醐寺三宝院に銀100枚と知行(ちぎょう)1600石を寄進した。この花見が秀吉最後の歓楽となる。

[北島万次]

『日本歴史地理学会編『安土桃山時代史論』(1915・仁友社)』『北島万次著『日記・記録による日本歴史叢書 近世4 朝鮮日々記・高麗日記――秀吉の朝鮮侵略とその歴史的告発』(1982・そしえて)』

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改訂新版 世界大百科事典 「醍醐の花見」の意味・わかりやすい解説

醍醐の花見 (だいごのはなみ)

1598年(慶長3)3月15日,京都の醍醐寺三宝院で豊臣秀吉が催した花見の宴。秀吉は吉野など各地に花を見,三宝院にも何度か足を運んでいるが,このときの花見はとくに豪華で,この年8月に秀吉が病死したため,その最後の豪遊として有名である。正月から前田玄以,長束正家,増田長盛を事前の作事にあたらせ,仁王門以下の建物の修理・掃除,寝殿等の新築をさせ,近江,河内,大和,山城から桜を多数移植,秀吉自身が護摩堂などを設計し,聚楽第(跡)から名石を取り寄せて庭を造らせたという。当日の奉行は京極高次,福島正則,増田長盛で,庭内所々に茶屋を設け,御牧景則,前田玄以らが点茶をし,食事を出すなどして終日楽しんだ。勅使広橋中納言や公家よりの使者を迎え,参会者は秀吉,秀頼のほか,北政所や淀君以下の妻妾,近臣など数百名に及んだという。このときに秀吉らの詠んだ和歌短冊131枚が三宝院に残っている。
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百科事典マイペディア 「醍醐の花見」の意味・わかりやすい解説

醍醐の花見【だいごのはなみ】

1598年,豊臣秀吉が山城醍醐寺三宝(さんぼう)院で催した花見で,秀吉最後の豪遊として知られる。秀吉は花見にあたり,建物の修理,寝殿等の新築,また近江など各地から桜を移植させるなど,正月から作事にあたらせた。当日は庭内諸所に設けられた茶屋で点茶をし,食事を出すなどして終日楽しんだ。参会者は秀吉,秀頼をはじめ数百名に及んだという。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「醍醐の花見」の意味・わかりやすい解説

醍醐の花見
だいごのはなみ

慶長3 (1598) 年3月 15日に豊臣秀吉が京都南郊の醍醐寺で行なった花見の会。いまに残る名園を三宝院に造り,愛児秀頼,北政所,淀君,徳川家康らの諸大名やその妻妾,近臣数百人を招いて宴を開き威勢を世に示した。参会者の和歌短冊 131枚が現存。『醍醐花見図屏風』にその光景を偲ぶことができる。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「醍醐の花見」の解説

醍醐の花見
だいごのはなみ

1598年(慶長3)3月15日,晩年の豊臣秀吉が京都醍醐寺三宝院で催した花見の宴。秀吉は同年8月に没したため,最後の歓楽として有名。秀吉みずから下検分をくり返し,五重塔その他の修理を命じたため,花見準備は三宝院の再興事業ともなった。当日は子の秀頼のほか北政所・淀殿ら妻妾を連れ,山中に設けた八つの御茶屋を巡る趣向であった。

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