酘豆郡・豆酘郷(読み)つつぐん・つつごう

日本歴史地名大系 「酘豆郡・豆酘郷」の解説

酘豆郡・豆酘郷
つつぐん・つつごう

酘豆郡は南北朝期より江戸時代中期にかけてみえる郡で、対馬八郡の一つ。「和名抄」に記される下県しもあがた豆酘郷を継承する。中世は酘豆郡とする表記が多いが(文明一四年七月二日「宗貞秀書下」梅野喜一郎氏所蔵文書)、「津々郡」(文明一六年一二月二四日「宗茂勝書下」同文書)などともみえる。江戸時代中期以降は対馬八郷の一つとして豆酘郷と改める。郡域は現厳原いづはら町の南端部にあたる。

〔酘豆郡〕

建武五年(一三三八)内山うちやまの木庭をめぐって「つゝのくんしミつふさ」「ちやうつかいミやしりんそし」「つゝのさいちやうの中大きやうし」らが請文を出している(同年一〇月一〇日「豆酘郡司満房等連署請文」内山文書)。康安二年(一三六二)四月一一日の宗宗香書下写(下津八幡宮文書)に「七月たなはたせく田一反つゝニあり」とみえ、下津しもつ八幡宮(現厳原町)の諸郡の負担を記したものであることから、これは「つゝ」郡をいうものとみてよい。明徳元年(一三九〇)「たねうち」は「つゝのこほり」のうちの「くわいけん」より「くわいしん」、「女子しめう」九郎左衛門に、「たねうち」と相続された観音堂の涅槃や四月八日の仏生会の際の一〇〇文のための「さふつ田」のほか、「たちはなき」「たうのくま」「ふなこし」「こもさき」「なたねはたけ」「権現下」「寺門」「いさの新塔のもと」などを譲っている(同年一一月一三日「たねうち譲状写」内山文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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