鄯善(読み)ゼンゼン(英語表記)Shan-shan

デジタル大辞泉 「鄯善」の意味・読み・例文・類語

ぜんぜん【鄯善】

中国天山南路南道の要衝にあって、前1世紀から5世紀にかけて栄えた古代オアシス国家。吐谷渾とよくこんに征服された。→楼蘭ろうらん

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精選版 日本国語大辞典 「鄯善」の意味・読み・例文・類語

ぜんぜん【鄯善】

中国、タリム盆地の東南辺にあった古代オアシス国家、楼蘭(ろうらん)が紀元前七七年、漢の支配下にはいり改めた国名。一世紀後半に独立し、東西貿易の要衝として国勢をたかめ、三世紀には西域五大国の一つに数えられた。五世紀に吐谷渾(とよくこん)に滅ぼされた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鄯善」の意味・わかりやすい解説

鄯善
ぜんぜん
Shan-shan

東トルキスタン(中国,シンチヤン(新疆)ウイグル(維吾爾)自治区)のロプノール(羅布泊)湖南西にあった国。本来チャルキリク県あたりの国名であったらしく,史料上は,元鳳4(前77)年,楼蘭国を滅ぼし,その一王子に楼蘭南境の扞泥城(うでいじょう。→ミーラン〈米蘭〉)を国都としチャルキリクに伊循屯田(いじゅんとんでん)を開き,あわせて支配させ,鄯善国と改称させたとあるのが初見。当時扞泥城はヘレニズム文化の東限をなしていたが,以後中国の影響も入り,西域南道(→西域南北道東部の東西交易の要地として栄え,3世紀後半にはタリム(塔里木)盆地五大国の一つとなり,4世紀には国都は伊循城に移り,扞泥城は東故城と呼ばれた。5世紀には吐谷渾の支配に服して独立を失い(一時が支配),7世紀にチベット人の支配に入ったときには,鄯善の称はすでに失われていた。

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改訂新版 世界大百科事典 「鄯善」の意味・わかりやすい解説

鄯善 (ぜんぜん)
Shàn shàn

(1)中国,漢代の西域の国名。旧名楼蘭。
楼蘭
(2)中国,新疆ウイグル(維吾爾)自治区県名トゥルファン(吐魯番)盆地の東に位置する。清代に鄯善県が置かれたのに始まる。カナートによる灌漑が現在ゆきわたり,綿生産で知られる。ハミ哈密)瓜の産地としても有名である。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「鄯善」の解説

鄯善(ぜんぜん)
Shanshan

西域の国名。新疆(しんきょう)タリム盆地東南辺にあり,前1世紀から5世紀にかけて,西域南道の中国に最も近いオアシス都市国家として,漢の兵站(へいたん)基地となるとともに,東西交通の要衝として栄えたが,5世紀には吐谷渾(とよくこん)の支配下に入った。

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旺文社世界史事典 三訂版 「鄯善」の解説

鄯善
ぜんぜん
Shànshàn

前1〜後5世紀,新疆 (しんきよう) の天山南路南道に栄えたオアシス都市の1つ
南道諸国に対する前漢の兵站 (へいたん) 基地。東西貿易により強盛となったが,5世紀,吐谷渾 (とよくこん) の支配下にはいった。

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世界大百科事典(旧版)内の鄯善の言及

【楼蘭】より

…その都城址は,新疆ウイグル(維吾爾)自治区ロプ・ノール(羅布泊)の北西にある。楼蘭の名は,前176年(文帝の4年),匈奴(きようど)から漢に送られた書簡の中にはじめて登場するが,以後も,匈奴・漢両国の支配下に置かれることが多く,前77年(元鳳4)には漢によって国王が殺害され,国号も楼蘭から鄯善へと改められた。前1世紀の鄯善,すなわち楼蘭(クロライナ)の戸数は,1570戸,人口は1万4100と伝えられ,当時の西域のオアシス諸都市の中では中程度の規模であった。…

※「鄯善」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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