鄭州(読み)ていしゅう(英語表記)Zhèng zhōu

精選版 日本国語大辞典 「鄭州」の意味・読み・例文・類語

てい‐しゅう ‥シウ【鄭州】

[一] 中国の隋代、現在の河南省鄭州市を中心に置かれた州名。
[二] 中国河南省の省都。同省北部、黄河の南岸近くにあり、隴海(ろうかい)・京広両鉄道の交差点に位置する。農畜産物の集散地で綿市場で知られ、人民共和国成立後は、紡績・機械工業が発展。

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デジタル大辞泉 「鄭州」の意味・読み・例文・類語

てい‐しゅう〔‐シウ〕【鄭州】

中国河南省の省都。京広・隴海ろうかい両鉄道線の交差点に位置し、交通の要地。綿紡織などの工業が盛ん。いん代の都城址がある。人口、行政区259万(2000)。チョンチョウ

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改訂新版 世界大百科事典 「鄭州」の意味・わかりやすい解説

鄭州 (ていしゅう)
Zhèng zhōu

中国,河南省中部の都市。黄河の南岸近くに位置し,京広(北京~広州)・隴海(ろうかい)(蘭州~連雲港)両鉄道の交点に当たる。省政府の所在地で,全省の政治,経済,交通,文化の中心。周の初め武王が弟の管叔を封じた管国の地と伝えられ,春秋時代には鄭国の一部であった。隋のとき管城県をおいて鄭州の行政中心としたが,明に至り管城県を鄭州と改称して開封府に所属させ,清代に及んだ。中華民国は鄭県として省に直属させ,中華人民共和国では鄭州市となり,1954年以来,省政府がここに移っている。かつては綿花や小麦など農産物集散の商業地にすぎなかったが,今日では西郊・北郊に市域が拡大し,人口177万(2002)の近代工業都市に変わった。とくに綿花産地をひかえて紡績・綿織物の全国的な中心をなし,これに関連して冶金,機械製造,化学,建築材料等の工業をはじめ,巻煙草,製粉,搾油などの食品工業も盛んである。1923年2月,当地で起こった京漢鉄路局労働者による大ストライキ(京漢鉄道ストライキ)は全国を動揺させたもので,2月7日に行われた大弾圧は二・七事件の名で知られ,市内にはこれを記念した記念塔や広場がある。

鄭州の遺跡は,新石器時代から殷~戦国時代を経て,明代におよんでいるが,とくに市街区とその周囲に存在する殷代の諸遺跡が1950年以降発見され,古代文化研究のうえから脚光を浴びるようになった。鄭州地区では25ヵ所ほどの新石器時代遺跡が知られているが,鄭州市北東郊の柳林公社大河村に存在する大河村遺跡は1964年に発見され,仰韶文化後期の彩陶を出土する標準遺跡として知られる。河南竜山文化に属する遺跡は比較的多く,牛砦,王(からおう),二里岡,馬荘などの遺跡が知られている。これら鄭州地区の竜山文化遺跡は,灰陶や黒陶を出土し,夏や殷王朝の初期の文化との関連において重要な意味をもっている。河南竜山文化に続く殷前期の遺跡としては,鄭州市西郊の洛達廟遺跡,上街遺跡,市内の南関外遺跡が存在する。これら殷前期の遺跡は殷王朝の中心が今日の偃師(えんし)県付近にあった時代のものと推定される。

 鄭州市内の紫荆山公園,金水大道,杜嶺街,南城馬路,熊耳河,城東路に囲まれた,後世の鄭州城を南部に含んだ一区画に版築で築かれた故城壁が存在する。この故城址は,南城壁1700m,東城壁1700m,北城壁1690m,西城壁1870mの規模を有している。故城址の北東角近くの白家荘における調査では,城壁上に二里岡(殷中期)上層文化の堆積が確認され,また城壁の版築中から二里岡(殷中期)下層文化の土器が発見されている。このことによって,この故城址は殷中期の前半に築かれたとする説が一般化している。城址内の北側の東里路付近では多数の宮殿址が発見され,鄭州殷代故城が殷中期の,前1600年ころの国都であった可能性が強まっている。《史記》や《竹書紀年》によれば,殷10代の王〈仲丁〉は(ごう)(囂)に都したとあるが,鄭州殷代故城をこのに比定する説が有力である。古城址の調査とともに住居跡や墳墓,さらに城壁の外には銅器鋳造所,陶器・骨器製造所跡なども発見された。鄭州殷代故城の南東角外側に二里岡遺跡が存在する。この遺跡は,殷中期文化の標準遺跡で,出土した土器を基準として上層文化と下層文化に分けられ,下層は〈二里岡文化〉と称して,安陽の殷墟よりも古い殷代中期に属することが明らかになった。

 鄭州市では戦国時代・漢代の墓も多数発見されている。戦国時代の墓は二里岡,岡杜,碧沙岡などの遺跡で100余基が発見されているが,二里岡遺跡の戦国墓には,長方形竪穴土坑墓,長方形竪穴木槨墓,長方形竪穴空心塼槨墓などがあり,鼎,壺,豆からなる多くの副葬陶器を出土している。唐代の墓は,上街,南関外,羅新荘などの各地点に存在し,また,二里岡,南関外では宋代の墓が発見されている。鄭州殷代故城の上には,唐代・明代の城壁が重なり,殷代遺構の年代決定をより複雑にしている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鄭州」の意味・わかりやすい解説

鄭州
ていしゅう / チョンチョウ

中国、河南(かなん)省中北部の地級市で、同省の省都。華北(かほく)平原の西端にあり、南西方には嵩山(すうざん)の山系が控え、北部は黄河(こうが)に臨む。市内を潁河(えいが)の支流の賈魯河(かろが)とその支流が流れる。中原(ちゅうげん)区、二七(にしち)区などの6市轄区と中牟(ちゅうぼう)県を管轄し、滎陽(けいよう)、新鄭(しんてい)、登封(とうほう)など5県級市の管轄代行を行う(2016年時点)。人口972万4000(2016)。1981年に浦和市(現、さいたま市)と友好都市となった。

 中国中部の重要な工業都市であり、従来の基幹産業であった機械製造、食品化学、紡績などに加え、自動車製造、電子機器製造、製薬なども発展している。周辺の農業は小麦、コウリャントウモロコシ、大豆を柱にした二年三作制が基本である。黄河流域ワタ作区のうち豫西北(よせいほく)地区の主産地を形成し、生産量は多い。

 鄭州は黄河中・下流域にあり、水害や干害が繰り返されてきた。1938年には、侵攻する日本軍を前にした国民党軍が撤退を図るため、市の北方花園口(かえんこう)の黄河の大堤を破壊したが、水流は賈魯河や潁河の河道を南下、淮河(わいが)にまで到達し、河南、安徽(あんき)、江蘇(こうそ)の3省、5万4000平方キロメートルにわたり黄河の水が氾濫(はんらん)した。そのため被災者1250万人、死者は89万人に上り、うち河南だけで47万人の死者を出したことはよく知られている。被災した土地は凸凹になり、アルカリ、塩類土化が進んだ。中華人民共和国成立後は堤防を強化し、花園口にサイフォンを利用した取入れ口を設け、約1500本の灌漑(かんがい)用水路を建設して、氾濫地区へ水を供給、整地を施し、各耕地には防護林帯を設けている。また、滎陽市の邙山(ぼうざん)には用水センターが建てられ、一度山頂に水をくみ上げたあと約2700ヘクタールの耕地に供給している。

 地理的に中国の中心に位置する鄭州は、国内鉄道網の中心地でもあり、京広線と隴海(ろうかい)線が交差し、黄河には京広線の鄭州大橋が架かる。また、京広、鄭徐(鄭州―徐州(じょしゅう))、鄭西(鄭州―西安(せいあん))などの高速鉄道が通り、河南省の各都市とは、城際(都市間)鉄道で結ばれている。自動車道も京広・隴海両鉄道に沿って通じている。さらに空路では鄭州新鄭国際空港が新鄭にあり、北京(ペキン)、西安、広州(こうしゅう)、上海(シャンハイ)など国内の要地や東アジアの各都市と結ばれており、河南省中北部の交通の要所となっている。

 市の北郊の大河村(たいがそん)には新石器時代末期の仰韶(ぎょうしょう)・竜山(りゅうざん)両文化の遺跡があり、市内では殷(いん)代の古城跡(二里岡(にりこう)遺跡)が発見されている。また市の中心部には、1923年に京漢鉄道(現、京広線)の労働者が軍閥に反対して行った二・七ストライキ(二・七事件)を記念する二七記念堂や二七記念塔がある。

[駒井正一・編集部 2017年12月12日]

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百科事典マイペディア 「鄭州」の意味・わかりやすい解説

鄭州【ていしゅう】

中国,河南省中部北寄りにある同省の省都。北側を黄河が流れ,京広(北京〜広州)・隴海(蘭州〜連雲港)両鉄路の連絡点で,政治・経済・文化の中心地。春秋時代に鄭邑,隋代に鄭州治が置かれ,1949年市となった。1954年省都がそれまでの開封から鄭州に移された。戦前は商業都市だったが,中華人民共和国になってから工業が急速に発達し,中国の重要な繊維工業基地となった。1923年の京漢鉄道労働者による〈二・七〉ストの起きた場所で,市の中心地に〈二・七〉広場と記念塔がある。311万人(2014)。
→関連項目河南[省]洛陽

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旺文社世界史事典 三訂版 「鄭州」の解説

鄭州
ていしゅう

中国河南省中部にある同省の省都
1950年以来の発掘調査により,付近に殷墟 (いんきよ) よりも古い殷代遺跡が発見された。城壁・住居跡・墳墓のほか,銅器鋳造所や陶器・骨器の製作所の跡がみえる。

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世界大百科事典(旧版)内の鄭州の言及

【殷周美術】より

…付近には朱砂とともに圭,璋などの玉器があり,この地が重要都邑であったことを示す。 河南省鄭州市の,周囲7kmに及ぶ大城壁は殷中期の都城址である。城内から東西65m以上,南北13.6mの宮殿址などが発見されている。…

【河南[省]】より

…人口は9172万(1996)。4地区,13地級市,25県級市,91県からなり,省都は鄭州市である。中国の古代地理書である〈禹貢〉(《書経》の中の一編)には九州の一つとして予州とみえ,ほぼ天下の中央に相当するので中州または中原ともよばれた。…

※「鄭州」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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