鄧穎超(読み)とうえいちょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「鄧穎超」の意味・わかりやすい解説

鄧穎超
とうえいちょう / トンインチャオ
(1902―1992)

中国の政治家。周恩来夫人で、鄧大姐(トンターチェ)(鄧ねえさん)の愛称民衆に親しまれていた。河南省出身。天津(てんしん/ティエンチン)女子師範学校在学中、周恩来の主宰する学生団体「醒社(せいしゃ)」に参加、同校卒業後、北京(ペキン)で教職につき、1925年、国共合作下の広州で周恩来と結婚、蔡暢(さいちょう/ツァイチャン)らと女性運動に従事、国共分裂後、江西省のソビエト地区に入り、長征に参加。延安に移ったあと病気療養を兼ねて北京に潜入したことがある、とエドガー・スノーの記述にみえる。そのあと抗日戦中、国共提携の組織である国民参政会参政員として、夫とともに重慶(じゅうけい/チョンチン)に駐在。中華人民共和国成立後は、全国民主婦女連合会副主席、党中央委員、全国人民代表大会常務委員会副委員長などの要職につき、周恩来の死後1979年(昭和54)4月、来日。人民政治協商会議全国委員会主席であった。

安藤彦太郎

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鄧穎超」の意味・わかりやすい解説

鄧穎超
とうえいちょう
Deng Ying-chao

[生]光緒30(1904).河南,光山
[没]1992.7.11. 北京
中国の女性政治家。周恩来夫人。天津女子師範大学卒業。在学中,五・四運動に参加し,卒業後の 1925年周恩来と結婚,同年入党。 34年長征に参加。 45年中国共産党第7期中央委員候補,49年全国民主婦女連合会副主席,56年第8期,69年第9期,73年第 10期党中央委員会委員,76年 12月全国人民代表大会常務委員会副委員長に選ばれた。 78年第5期全人代副委員長。 82年日中民間人会議中国委顧問。李鵬義理息子

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