都指揮使司(読み)としきしし

世界大百科事典(旧版)内の都指揮使司の言及

【衛所制】より

…1千戸所は10守禦百戸所よりなり,その長は百戸で,その下に総旗2名,小旗10名があり,1百戸は112名(総旗は5小旗,小旗は兵士10名)を率いた。したがって1衛の兵数は5600人を基本とし,都指揮使司(都司)に統率され,都司はさらに中央の五軍都督府に統率された。そして千戸所,百戸所は1府州の兵を統轄し,衛は数府州の兵を統轄する場合に置かれた。…

【洪武帝】より

…官僚の監察機関である御史台も廃止され,代わって都察院が設置され監察が強化された。彼はこれよりさき1376年には地方行政の中心機関であった行中書省を廃止し,代わって布政使司(行政),都指揮使司(軍事),按察使司(検察)を設置し,三権を分立させてそれぞれを皇帝に直結させるという改革をも行った。こうした一連の改革によって皇帝は絶大な政治権力を握ることになり,皇帝独裁体制は中国史上最高のものとなったのである。…

【三司】より

…五代では殿前都点検という禁軍の総司令官がいて,これが天子に推される傾向にあったので,宋の太祖は禁軍の組織を改編し,それぞれに都指揮使などの官職を設け,権力を分散させたのである。(5)明代では行省の布政使司と按察使司と都指揮使司を総称した。布政使司は民政を,按察使司は司法を,都指揮使司は軍政をつかさどった。…

【明】より


[地方]
 地方制度では,布政司(布政使)の管轄区域が最大の行政単位で,行省の名を残して省と通称される。布政司が一般民政を担当するほか,省には司法・監察を担当する提刑按察使司,略して按察司と,軍隊を管轄する都指揮使司,略して都司が置かれ,併せて三司とよばれ,重要事項は3者の合議によって決定された。行省時代のような単一の長官は存在しなくなったのである。…

※「都指揮使司」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」