都宇郡(読み)つうぐん

日本歴史地名大系 「都宇郡」の解説

都宇郡
つうぐん

和名抄」東急本(国郡部)刊本に「津」と訓がある。「続日本紀」和銅六年(七一三)五月二三日条の制によって、国郡郷の地名を好字で表記することになったため、もと「津郡」であったのが「都宇郡」と表記されるようになったとみられる。近代の訓は「ツウ」(内務省地理局編纂「地名索引」)

「和名抄」によれば河面かわも撫河なつかわ深井ふかい駅家うまやの四郷からなり、令制の区分では下郡にあたる。式内社はない。文献上の初見は天平一一年(七三九)備中国大税負死亡人帳(正倉院文書)であるが、同帳記載の郷名に駅家郷はなく、建部たけべ郷がみえる。「延喜式」兵部省には津高つだか駅と河辺かわべ駅の中間に「津駅」があり、駅馬二〇疋が置かれていた。おそらく建部郷内に駅家が置かれていたために郷名が変更されたのであろう。「津駅」の所在について、通説では「今昔物語集」巻一七第四話にみえる「津坂」の地名を重視し、現都窪つくぼ山手やまて村の岡谷おかだにの丘陵地にある津坂つざかに比定する。だが同地は旧窪屋くぼや郡に属するために無理がある。同駅は現倉敷矢部やべ付近に求めるのが妥当であろう。

〔古代〕

古代においては高梁たかはし川と足守あしもり川に挟まれた沖積平野と、旧海岸線沿いの平野部からなる。西は窪屋郡、北から東にかけて賀陽郡、南は海に面していた。現在の岡山市西辺部と都窪郡早島はやしま町、倉敷市東辺部にあたる。「津郡」の津は「吉備津」を意味すると考えられ、古代吉備の海上交通上の要地でもあった。郡域内には、弥生時代最大の墳丘をもつ墳墓である楯築たてつき遺跡(倉敷市日畑・矢部)や、弥生やよい墳丘墓(同市西尾・矢部)など弥生時代の墳丘墓が少なくない。古墳時代には、全国第四位で全長約三五〇メートルの造山つくりやま古墳(岡山市新庄下)や、特殊な構造の横穴式石室をもつ千足せんぞく古墳(同上)など数多くの古墳があり、古代吉備の有力首長の本拠地の一つであったことを示している。後期古墳としては王墓山おうはかやま古墳(日畑)があり、豊富な副葬品と貝殻石灰岩製の組合せ式家形石棺で知られる。また白鳳期創建の日畑ひばた廃寺(同上)は吉備寺式(備中式)と称される独特の瓦の分布の東限でもある。なお二子御堂奥ふたごみどうおく窯跡群(倉敷市二子)は、白鳳期から奈良時代末にかけての瓦の生産地で、その出土瓦の編年と分布から備中地域の古代寺院のあり方をうかがうことができる。

郡内の古代氏族としては、前掲大税負死亡人帳に記載された人名から、津臣三、建部三、秦人部二、史戸二、丸部・西漢人・赤染部・上道臣・服部首各一の存在が知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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