部落解放全国委員会(読み)ぶらくかいほうぜんこくいいんかい

山川 日本史小辞典 改訂新版 「部落解放全国委員会」の解説

部落解放全国委員会
ぶらくかいほうぜんこくいいんかい

第2次大戦後最初の部落解放運動の全国組織。1946年(昭和21)2月,旧全国水平社の活動家がよびかけ,旧融和団体の幹部らも含めて結成された。民主統一戦線の一翼を担って誕生したが,戦後の混乱なかで組織は拡大しなかった。51年京都市職員が市内の部落実情小説にして雑誌に発表したオール・ロマンス事件以後,差別行政反対闘争にとりくみ,運動が発展。55年8月部落解放同盟に改組

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の部落解放全国委員会の言及

【同和対策】より

…中融協は41年,〈一億総進軍の急需〉にこたえるべく同和奉公会と改称し,その経済更生計画も物的・人的資源の調整をはかるものとなり,もはや部落差別の解消ではなく,部落住民を戦争遂行に動員することを主目的とするにいたった。
[戦後の同和対策事業の推進]
 第2次世界大戦後の1946年,部落解放運動は再発足をとげ,水平社運動の伝統を受け継いで,部落解放全国委員会(解放委)が結成された。また51年には,解放委と地方公共団体の同和対策関係職員などによって全日本同和対策協議会が組織された。…

【被差別部落】より

…その中には,45年8月15日,太平洋戦争終結の日の夜から中国人の襲撃を受け,2日後の17日夕刻には,男子が兵役に徴発されていたために大部分が老人,女性,子どもであった総員272人のうち271人が戦死または自決したという熊本県の被差別部落の移民団集落もあった。
[部落解放運動の再建]
 敗戦による占領下,民主的諸改革が推進されるなかで部落解放運動の再建の気運も急速に高まり,戦前の全国水平社の〈部落委員会〉の伝統を受け継いで,〈全国水平社主催〉をうたう参加の呼びかけのもと,1946年2月19日,京都市の新聞会館に23府県から240人が参集して〈部落解放全国委員会〉(解放委員会)が結成され,翌日には〈部落解放人民大会〉が開催された。そのとき採択された〈宣言〉は,〈全国に散在する六千部落三百万の兄弟諸君! 日本帝国主義の敗戦により,凶悪野蛮なる軍国主義的・封建的専制支配は終焉(しゆうえん)を告げ,人民解放の輝かしい時代は来た。…

【部落解放運動】より


[部落解放運動の再発足]
 第2次大戦後,労働者・農民の運動をはじめさまざまの社会運動が復活する動きの中で,部落解放運動も再発足した。1946年(昭和21)2月,松本治一郎,朝田善之助,北原泰作ら旧水平社運動と,武内了温,梅原真隆,山本政夫ら旧融和運動の各指導者が発起人となり,両者の大同団結の下に全国水平社の伝統を受け継いで部落解放全国委員会(解放委員会)が結成された。解放委員会は,財閥資本に奪われた産業の奪還と部落産業の全面的振興を訴え,また日本国憲法の制定にあたり,華族制度の廃止と身分差別の撤廃などを積極的に主張した。…

※「部落解放全国委員会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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