郁芳門院(読み)いくほうもんいん

精選版 日本国語大辞典 「郁芳門院」の意味・読み・例文・類語

いくほう‐もんいん イクハウモンヰン【郁芳門院】

白河天皇皇女。名は媞子(ていし)。父白河天皇に愛され、のち堀河天皇准母として皇后の称を与えられた。承保三~永長元年(一〇七六‐九六)。

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デジタル大辞泉 「郁芳門院」の意味・読み・例文・類語

いくほう‐もんいん〔イクハウモンヰン〕【郁芳門院】

[1076~1096]白河天皇の第1皇女。名は媞子ていし堀河天皇准母じゅんぼとなり、皇后の称を与えられた。六条院

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「郁芳門院」の意味・わかりやすい解説

郁芳門院
いくほうもんいん
(1076―1096)

白河(しらかわ)天皇の第1皇女。諱(いみな)は媞子(ていし)。母は源顕房(あきふさ)の女(むすめ)で藤原師実(もろざね)の養女となった賢子(けんし)。居所にちなみ六条院とも称される。1078年(承暦2)伊勢斎宮(いせさいくう)に定められたが、1084年(応徳1)母の死により退く。1091年(寛治5)に堀河(ほりかわ)天皇の准母(じゅんぼ)として中宮(ちゅうぐう)となって天皇の妻でないのに后位につく例を開き、1093年(寛治7)院号宣下(せんげ)を受け、郁芳門院と称した。父白河上皇寵愛(ちょうあい)深く「天下の盛権只(ただ)此(こ)の人に在(あ)り」とさえいわれ、その崩御の翌々日に上皇は出家した。醍醐(だいご)円光院に葬ったので、墓所は上醍醐陵(かみのだいごのみささぎ)といわれる。

福井俊彦

『竜肅著『平安時代』(1962・春秋社)』『河野房雄著『平安末期政治史研究』(1979・東京堂出版)』

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改訂新版 世界大百科事典 「郁芳門院」の意味・わかりやすい解説

郁芳門院 (いくほうもんいん)
生没年:1076-96(承保3-永長1)

平安後期の皇后。媞子(ていし)内親王,六条院とも称す。白河天皇の第1皇女,母は源顕房の女で藤原師実の養女となった中宮賢子。承保3年4月誕生。同年8月に内親王となり,78年(承暦2)准三宮に,ついで伊勢斎宮になるが,84年(応徳1)母賢子の喪によって斎宮を退下して帰京六条殿に住したため六条院と称せられる。91年(寛治5)同母弟の堀河天皇の准母として立后し,中宮となる。ここに妻后でなくして后位に登る例が開かれた。2年後に郁芳門院の院号を授けられたが,永長1年8月21歳をもって没した。女院は性質寛仁にして容姿端麗,父上皇の寵愛を一身に集め,ために女院の死に悲嘆した上皇はその2日後に世をはかなんで出家し,女院のために醍醐に無量光院を建立するとともに,女院の居所六条殿を改めて御堂としてその冥福を祈った。墓所は上醍醐陵といい,醍醐寺内にある。
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百科事典マイペディア 「郁芳門院」の意味・わかりやすい解説

郁芳門院【いくほうもんいん】

白河天皇の第1皇女。【てい】子(ていし)内親王,六条院とも称される。母は中宮賢子。1078年伊勢斎宮となるが,1084年母の喪により斎宮を退き帰京,六条殿を居所とした。1091年同母弟堀河天皇の准母として立后(中宮),妻后でないにもかかわらず后位に登る初の例。没後,女院を寵愛した白河上皇はにわかに出家し,山城醍醐に無量光(むりょうこう)院(現京都市伏見区)を建立,六条殿を御堂と改め冥福を祈った。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「郁芳門院」の解説

郁芳門院 いくほうもんいん

1076-1096 平安時代後期,白河天皇の第1皇女。
承保(じょうほう)3年4月5日生まれ。母は藤原賢子(けんし)。応徳元年(1084)母の死で伊勢斎宮(さいぐう)をしりぞき,京都の六条院にすむ。寛治(かんじ)5年(1091)弟堀河天皇の准母として立后し,中宮。天皇の妻以外ではじめて后位につく。7年院号をうける。歌合わせをおおく主催した。嘉保(かほう)3年8月7日死去。21歳。名は媞子(ていし)。通称は六条院。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「郁芳門院」の意味・わかりやすい解説

郁芳門院
いくほうもんいん

[生]承保3(1076).4.5. 京都
[没]永長1(1096).8.7. 京都
白河天皇第1皇女。名はてい子,母は贈皇太后藤原賢子。承暦2 (1078) 年准三宮,次いで伊勢斎宮となった。応徳1 (84) 年母賢子の喪により斎宮退下。寛治5 (91) 年堀河天皇准母の儀により立后し,皇后と尊称。同7年院号宣下。陵墓は京都市伏見区醍醐の上醍醐陵。

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367日誕生日大事典 「郁芳門院」の解説

郁芳門院 (いくほうもんいん)

生年月日:1076年4月5日
平安時代後期の女性。白河天皇の第1皇女
1096年没

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世界大百科事典(旧版)内の郁芳門院の言及

【女院】より

…かくして女院は後宮における地位の一つとみなされることになったが,二条院は天皇の生母ではなかったのが注意される。第5例の皇后媞子内親王が1093年(寛治7)1月に郁芳門院号を宣下されたのも,堀河天皇の女御篤子内親王の立后のためであった。なお郁芳門院は堀河天皇の准母であるが,従来の例とは異なり非妻后の皇后である。…

※「郁芳門院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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