那谷寺通夜物語(読み)なたでらつやものがたり

日本大百科全書(ニッポニカ) 「那谷寺通夜物語」の意味・わかりやすい解説

那谷寺通夜物語
なたでらつやものがたり

1712年(正徳2)10月加賀国(石川県)大聖寺(だいしょうじ)藩の全藩一揆(いっき)についての民衆的歴史記述。事件後まもなく成立した『土民騒乱記』をもとに、那谷寺の由来を述べ、享保(きょうほう)末年に那谷講で通夜した3人の老人の1人が持参した本を写したという序章および大聖寺藩主の歴史を述べた終章を付け加えて、通夜物語形式を整えたものである。内容的には、「免切らずの大盗人共、世界にない取倒しめ」「仕置(しおき)があしくば年貢はせぬぞ、御公領とても望(のぞみ)なし、仕置次第(しだい)につく我々ぞ、京の王様の御百姓にならふと儘(まま)じやもの」という「世にもまたなき悪口雑言(あっこうぞうごん)」を「土民原(どみんばら)」に発言させていることで有名。現存写本は、1762年(宝暦12)同藩士児玉仁右衛門(にえもん)が頭注や後記を加えたもので(『日本庶民生活史料集成』第六巻所収・三一書房)、ほかに両書に先行する『江沼郡百姓中免乞(めんこい)訴訟書写』と、『騒乱記』にさらに修正を加えた『加陰(かいん)農民嗷訴(ごうそ)記』とがある。

[林 基]

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改訂新版 世界大百科事典 「那谷寺通夜物語」の意味・わかりやすい解説

那谷寺通夜物語 (なたでらつやものがたり)

1712年(正徳2)加賀国大聖寺藩領の全域に起こった惣百姓一揆の記録。62年(宝暦12)大聖寺藩士児玉則忠が底本(不詳)に文飾を加え,かつ自分の見聞を補筆したもの。領内の江沼郡那谷観音に参籠した老人の物語の聞取り書に仮託されている。この年8月の烈風不作となり,その状況の見分を受けたが減免が少なすぎたため,10月6日夜,見立役人が泊まった那谷村肝煎宅と那谷寺を一揆勢が襲い,翌日,逃避中の役人を包囲して集団交渉し,6割減免の証文をとり,また村肝煎の総寄合で茶問屋,紙問屋の廃止,新高,増免,初穂代等の廃止も要求した。数千の農民が参加し,肝煎層が指導したが,7日に茶問屋,8日に山方の元十村宅2軒を打ちこわすという派生的行動があった。減免要求はかなりの程度通り,棟取としての処罰者は出なかった。なお藩内権力争い,家中貧窮による家老弾劾,失脚という,この年の前後の政治危機的事件との因果関係が考えられる。
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