那波九郎左衛門(読み)なば・くろうざえもん

朝日日本歴史人物事典 「那波九郎左衛門」の解説

那波九郎左衛門

没年:寛文4(1664)
生年:慶長2(1597)
江戸前期の京都の大富豪。金融業を営む先祖は播磨国那波村(兵庫県相生市那波)出身。名は常有。世襲名九郎左衛門の初代。父宗旦の代に京都へ出る。常有とその子素順(1633~97)のときが最盛期とみられ,三井三郎左衛門(釘抜三井家),袋屋常皓,和久屋九郎右衛門などと婚姻関係ができた。常有の富は素順とその弟正斎とが相続した。兄は福岡藩,弟は醍醐三宝院の御用を勤めたが,驕り高ぶり,京都所司代(代行)板倉内膳正重矩の咎めを受け,罰として宇治橋のかけかえを命ぜられた。兄弟とも大名への出入り商人として過失があり,衰微した。<参考文献>三井高房町人考見録』(『日本思想大系』59巻),松本四郎「寛文~元禄期における大名貸し特質―町人考見録にみえる那波九郎左衛門家を中心に―」(『三井文庫論叢』創刊号)

(安岡重明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android