遺伝子治療(読み)イデンシチリョウ(英語表記)Gene therapy

デジタル大辞泉 「遺伝子治療」の意味・読み・例文・類語

いでんし‐ちりょう〔ヰデンシチレウ〕【遺伝子治療】

患者の細胞から遺伝子疾患の原因となる遺伝子を除去したり、そのはたらきを抑制したり、外部から正常な部分を補ったりする治療法。1990年、米国で初めて免疫不全症候群の一つであるアデノシンデアミナーゼ欠損症の治療が行われた。遺伝子療法

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六訂版 家庭医学大全科 「遺伝子治療」の解説

遺伝子治療
いでんしちりょう
Gene therapy
(遺伝的要因による疾患)

遺伝子治療とは

 遺伝子あるいは遺伝子を導入した細胞を患者に投与することにより、疾患の治療を行う方法をいいます。目標とする細胞や組織に遺伝子を導入し発現させるための試みが数多くなされています。現在行われているのは、患者さんの細胞や組織などの体細胞を対象とした治療に限定されており、生殖細胞系列への遺伝子操作は数多くの国で禁止されています。

どのような治療法が考えられているのか

 実際に試みられる治療法は病態によって異なってきます。ある遺伝子の機能がなくなったり低下している場合は、その遺伝子を外から補充することが考えられます。特定の遺伝子の発現が細胞にとって害になるような場合は、特異的にその遺伝子の発現を抑えることが考えられます。がんのように細胞そのものを除きたい場合は、標的細胞を直接殺す方法が用いられると思われます。

遺伝子を細胞や組織に導入する方法

 遺伝子導入の方法として最も用いられているのは、ウイルスベクターを用いた方法です。当初は導入効率のよさからレトロウイルスが使われました。しかしレトロウイルスは、染色体中に組み込まれることによって新たな変異を誘発する危険性が出てきたため、現在ではあまり使われなくなりました。代わりとして、宿主細胞に組み込まれることのないアデノウイルス、アデノ随伴ウイルスなどが使われるようになってきています。

 一方、安全上の問題から、ウイルスを使わない方法も用いられています。代表的なものとしてはリポソーム法があります。これはある種の脂質とDNAを混ぜてその融合体を細胞に取り込ませる方法です。また、遺伝子を直接注入する方法なども行われています。いずれも遺伝子の導入効率が低く、発現も一過性にしかみられないという問題点があります。

遺伝子治療の実際

 遺伝子治療の臨床研究は、1990年にアデノシンデアミナーゼ欠損症の患者さんに対して始められました。

 今日まで多くの遺伝子治療の試みがなされたなかで、X連鎖重症複合免疫不全症(れんさじゅうしょうふくごうめんえきふぜんしょう)に施された遺伝子治療の試みは、数少ない成功例のひとつです。これは患者さんの造血幹細胞にサイトカイン受容体遺伝子を導入し、培養したものを患者さんにもどすという方法で行われました。

 この治療を受けた患者さんの多くに症状の回復がみられ、治療は成功したかに思われました。しかし後年、遺伝子導入のため用いたレトロウイルスによって、白血病を発症する患者さんが出たため、この治験は中止されました。

遺伝子治療のこれから

 遺伝子治療の最も重要な点は、目的の細胞組織のみに遺伝子を導入し、その発現を制御できるようになることですが、残念ながら現状の技術はまだそこまでは至っていません。標的となる細胞として理想的なのは、自己複製能をもつ幹細胞であることを考えると、患者さんから樹立可能なiPS細胞を用いた遺伝子治療の試みも、これから活発に行われていくと思われます。またRNA干渉(かんしょう)を用いた、目的の遺伝子の不活化など、新しい技術も開発されてきています。安全で信頼できる方法の確立が望まれています。

中野 芳朗

出典 法研「六訂版 家庭医学大全科」六訂版 家庭医学大全科について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「遺伝子治療」の意味・わかりやすい解説

遺伝子治療
いでんしちりょう

体内に、外部から有効な遺伝子を組み込んだ新しい細胞を入れて行う治療法。1980年、アメリカの学者が地中海貧血患者に強行して批判されたが、1990年、アメリカ国立衛生研究所(NIH)によるアデノシンデアミナーゼ(ADA)欠損症患者治療から、世界的な挑戦が始まった。これはADA酵素をつくる遺伝子が欠けているために起こる免疫不全症で、治療法は患者の白血球を取り出し、ADA酵素をつくる遺伝子を組み込んで患者に戻すという方法である。白血球のかわりに無害のウイルスに遺伝子を入れて感染させる手法もある。また、皮膚癌(がん)(悪性黒色腫(しゅ))患者や脳腫瘍(しゅよう)患者に、癌を殺すタンパク質の生産遺伝子を組み込んだり、嚢(のう)胞性線維症患者には治療効果が期待できる物質生産遺伝子を入れるなど、病気ごとにくふうされる。疾患の原因遺伝子の働きを抑える人工遺伝子を入れるアンチセンス治療法も遺伝子治療の一種で、癌やエイズで試みが始まっている。日本では1995年(平成7)、北海道大学病院小児科が、ADA欠損症の男児(4歳)に初めて治療を行い、いちおう成功と評価された。また2008年4月には、アメリカとイギリスの2チームが先天性の網膜の病気の治療に有効と発表するなど、散発的な報告はあるが、遺伝子治療は世界的にみて一般化するに至っていない。

[田辺 功]

『ジェフ・ライオン、ピーター・ゴーナー著、松浦秀明訳『遺伝子治療の誕生――世界を震撼させるドラマはここから始まった』(1998・ゼスト)』『本橋登著『ヒトゲノムと遺伝子治療』(2002・丸善)』『ウォルター・J・バーデット著、加藤郁之進訳『知っておきたい遺伝子治療の基礎知識』(2004・タカラバイオ、丸善発売)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「遺伝子治療」の意味・わかりやすい解説

遺伝子治療
いでんしちりょう
gene therapy

遺伝病を引き起こす異常を修復するために,細胞の核内に正常な遺伝子を導入する治療法。遺伝子導入療法とも呼ばれる。染色体に正常な遺伝子を挿入する場合,挿入する遺伝子が変異のある領域とは異なる部分に組み込まれることが多いため,別の機能遺伝子を壊し,新たな異常が出るおそれもある。1990年7月,アメリカ合衆国国立衛生研究所 NIHが初めて,メラノーマの遺伝子治療計画を承認。同時にアデノシンデアミナーゼ欠損症に対する遺伝子治療も承認された。しかしその後行なわれた臨床試験では,体細胞への遺伝子治療の難しさが浮き彫りになった。1999年にはアメリカで遺伝子治療を受けた 10代の男性患者が死亡。2000年にはフランスで,X連鎖重症複合免疫不全症 XSCID(男児だけが発症する遺伝疾患)の乳幼児に対する遺伝子治療が成功したものの,のちに患児 11人のうち 2人が白血病を発症した。その後,治療方法の改良が続けられており,数多くの成功例が報告されている。今日では,ヒトへの遺伝子治療は,嚢胞性線維症,アデノシンデアミナーゼ欠損症,家族性高コレステロール血症,重症複合免疫不全症(→免疫不全症)などの疾患に対して行なわれる。

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百科事典マイペディア 「遺伝子治療」の意味・わかりやすい解説

遺伝子治療【いでんしちりょう】

遺伝子の欠損や正常に機能しないことによる病気の治療のため,体外から正常な遺伝子を補う方法。遺伝病,癌,エイズなどの治療法として注目されている。米国では1990年にアデノシン・デアミナーゼ欠損症による免疫不全症候群の患者に初めて行われた。日本では1993年,厚生省が対象となる病気の種類や生殖細胞に対する操作の禁止などを定めたガイドラインをまとめ,1995年,アデノシン・デアミナーゼ欠損症の男児に実施された。
→関連項目アンチセンスRNAヒトゲノム解析計画

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化学辞典 第2版 「遺伝子治療」の解説

遺伝子治療
イデンシチリョウ
gene therapy

タンパク質性の医薬品のかわりに,タンパク質をつくり出す遺伝子そのものを導入して病気を治す方法.これは薬のかわりに遺伝子を用いるという対処療法であるが,特定の遺伝子に変異のある遺伝病の場合には,変異遺伝子を正常なものに置き換えて根本的に治すという治療法も技術的には可能となりつつあるが,倫理的問題はクリアーされていない.患者の細胞を取り出し,それに体外で遺伝子を導入してからふたたび体内に戻す方法(ex vivo法)と,直接体内に投与する方法の2種類がある.

出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報

知恵蔵 「遺伝子治療」の解説

遺伝子治療

体外から遺伝子を組み込んだウイルスあるいは細菌を患者の体内に導入し、病気に関わる遺伝子の働きを抑えたり補ったりして病気を治す方法。1990年、アデノシン・デアミナーゼ欠損症による重い免疫不全患者に対して、米国で最初の遺伝子治療が行われた。95年に北海道大学で行われた日本初の治療も、同じ病気の患者に対してだった。治療の対象は先天性免疫不全、がんが主だが、次第に対象範囲が広がってきており、肝硬変、血管系の疾患、心臓病などにも試みられようとしている。

(今西二郎 京都府立医科大学大学院教授 / 2007年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

栄養・生化学辞典 「遺伝子治療」の解説

遺伝子治療

 遺伝子療法ともいう.遺伝子工学の技法を用いて作成したDNAを疾病の治療に用いること.ある遺伝子に欠陥があるために起こる疾病の治療のために試みられることが多い.

出典 朝倉書店栄養・生化学辞典について 情報

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