選挙法改正(読み)せんきょほうかいせい

改訂新版 世界大百科事典 「選挙法改正」の意味・わかりやすい解説

選挙法改正 (せんきょほうかいせい)

歴史上の用語としては,19世紀から20世紀にかけてイギリスで行われた数次の選挙法の改正をいう。イギリスは議会制度の母国といわれ,その歴史は中世にまでさかのぼる。議会は,11世紀から14世紀にかけて国王から直接授封された封建諸侯の会議として生まれ,国王の諮問議会として機能した15,16世紀の絶対王政期を経た後,17世紀の市民革命(ピューリタン革命と名誉革命)によって,近代的主権議会の地位を獲得した。だが,この近代的主権議会も,実質は,市民革命の結果,支配階級となった地主階級(貴族ジェントリー)の寡頭的な政治機関の域を出るものではなかった。それゆえ,その議会は,産業革命以降今日にいたる工業化の過程のなかで,地主議会の基盤をなした選挙制度を逐次民主化することによって,あいついで台頭したブルジョア階級と労働者階級の政治参加の要求にこたえざるをえなかった。その過程の概要を表に示す。以下,個々の選挙法改正の問題点を説明したい。

 1832年の選挙法改正は,18世紀の産業革命以来台頭してきた中流階級,わけてもブルジョア階級に下院議員の選挙権を拡大したことで知られる。それまでの下院議員の選挙制度は,中世以来の前工業化段階につくられたもので,地主階級の貴族,ジェントリーによって完全に牛耳られていた。選挙区には大きく都市選挙区と県選挙区とがあり,それぞれ都市と農村を代表するしくみになっていたが,両選挙区ともその多くが彼らの支配下にあった。というのも,都市選挙区の多くがイングランド南部等の農業地帯に集中していたからで,産業革命の結果,北部・中部イングランドに誕生した多くの都市,たとえばマンチェスターバーミンガムは,10万都市になりながらも議員を出すことができなかった。また,懐中選挙区,指名選挙区などといわれて,選挙民もろとも大地主によって購入され,彼らの私有財産とみなされている都市選挙区も多数存在した。有権者の資格は,県選挙区では年賃貸価格40シリング以上の自由土地保有者と定められており,18世紀末の農業革命によって台頭した借地農(=農業資本家)は有権者から除外されていた。一方,都市選挙区における有権者の資格は,都市ごとにまちまちであったが,おしなべて財産と地位のある一部上層市民に限られており,しかも彼らは,近隣の大地主の影響下に置かれているのが普通であった。この不合理な選挙制度に対し,ブルジョア階級は,1770年代から80年代にかけて早くも改革を要求したが,要求は,その後のフランス革命戦争とナポレオン戦争によって棚上げされ,1830年のホイッグ党のグレー内閣の成立をまってはじめて実現された。この改正の実現にあたっては,バーミンガムを中心に展開されたブルジョア階級の改革運動が大きな圧力となった。この改正によって,農業地帯のそれを含む多くの都市選挙区の議席が剝奪され,マンチェスターやバーミンガムをはじめとする工業都市に移された。都市選挙区の選挙資格は,一律に年賃貸価格10ポンド以上の家屋・店舗の占有者と定められ,県選挙区では,中規模以上の借地農と農民に選挙権が拡大された。改正の結果,ほとんどすべての中流階級が有権者となり,参政権を獲得した。

 1867年の改正は,都市選挙区において都市の上層労働者に選挙権を拡大したことをその骨子とする。都市の工業労働者は,すでに1832年の選挙法改正に際しても,成年男子普通選挙権の要求を掲げて運動を展開したが成功せず,またその後30年代末から50年代にかけてチャーチスト運動を展開し,成年男子普通選挙権,秘密投票制などを要求して闘ったが,この運動も実らなかった。だが,50,60年代の著しい経済発展のなかで労働者の地位は向上し,彼らへの選挙権拡大がしだいに時代の要請となった。その結果,67年,ブルジョア急進主義者と一部熟練労働者による政治運動の圧力を背景に選挙法改正が行われ,都市選挙区については,救貧税(=地方税)の支払いを条件に戸主選挙権が実現され,富裕な熟練労働者層に選挙権が付与された。また県選挙区については,1832年の改正で定められた資格基準がさらに緩和され,選挙権は中小の借地農,農民にも及ぶようになった。また72年に秘密投票法が成立したことも選挙民主化への大きな前進であった。ついで84年の選挙法改正では,戸主選挙資格が県選挙区にも適用され,農業・鉱山労働者の富裕層に選挙権が拡大された。また翌85年の議席配分法によって,県・都市選挙区を通じて人口比の原理にもとづく選挙区制の改正が行われ,ここにはじめて1選挙区1議席の小選挙区制が導入されることになった。

 このように,イギリスの選挙制度は,19世紀末までに大幅に民主化されたが,まだ完全なものではなく,次のような問題点を残していた。第1に,その選挙資格は,いまだ地方税納入を条件とする戸主選挙権であり,普通選挙権にはなっていなかった。第2に,女性が完全に選挙権から除外されていた。第3に,選挙に際し複票(1人2票以上の投票権)を行使しうる有権者が多数存在した(1911年の時点で約50万人)。この複票制という事態は,大学卒業者に特別に選挙権を認める大学選挙区が存在したことと,選挙権の拡大が段階的に行われてきたため,古くからの財産にもとづく選挙資格がなお生き残ったことから生じたものであった。20世紀の選挙法改正は,これらの不合理,不平等を是正するのがその主要な課題となった。

 1918年の改正は,県・都市を問わず,当該選挙区での6ヵ月間の居住を要件に,21歳以上のすべての男子に選挙権を与えた。また30歳以上の女性で,自身,地方自治体の有権者であるか,ないしその夫が有権者である者にも選挙権が与えられた。婦人参政権獲得の運動は,1867年の選挙法改正時に始まるが,20世紀に入ってから,きわめて戦闘的な性格を帯びた。だが,男性優位の壁は厚く,総力戦の第1次世界大戦において,銃後で果たした女性の役割が高く評価されて後はじめて一部が実現された。ついで1928年の改正では,女子の選挙権が男子と同じ21歳に引き下げられ,ここに男女平等の普通選挙権がついに達成された。だが,複票制はなお残存し,第2次大戦後の48年の改正において,やっと全廃された。こうして,21歳以上のイギリス国民で,一定の日に一定の場所に居住している者すべてに対し,選挙権が与えられることになった。なお,この21歳の年齢制限は,その後69年に18歳に引き下げられ,今日にいたっている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「選挙法改正」の意味・わかりやすい解説

選挙法改正
せんきょほうかいせい
parliamentary reform

イギリス議会(下院)の選挙制度の改革。通例は19世紀に行われた三度の改革をさす。下院の選挙制度は中世に定められて以来、近代に入ってもほとんど変更が加えられなかったため、いろいろと不合理な点が出てきた。その是正を求める議会改革運動が、産業革命とほぼ時を同じくして18世紀後半から開始された。とくに大きな問題とされたのは、中世に繁栄して議席を与えられた都市が近代になって衰退して人口が減少したにもかかわらず選挙区であり続ける(腐敗選挙区といわれる)一方、急速な成長を遂げたマンチェスターやバーミンガムといった産業都市に議席が配分されていないことであった。また都市選挙区(バラ)では選挙資格がまちまちで、選挙区によっては有権者が極端に制限されていて、相当富裕な市民も投票できないという事態が生じていた。18世紀の末からホイッグ党は改革を主張していたが、トーリー党の反対にあって実現をみなかった。

[青木 康]

第1回

1830年にホイッグ党のグレーが首相となり、32年に第1回の選挙法改正が実現した。これにより多くの腐敗選挙区は議席を失い、その議席が人口の多い州と、それまで議席を与えられていなかった新興の都市に配分された。もう一つの重要な変更は、都市選挙区における選挙資格が統一され、年価値10ポンド以上の建物を占有する所有者と借家人が有権者となったことである。また州選挙区では、年価値10ポンド以上の土地の所有者、謄本保有者と、50ポンド以上の土地の借地人が有権者とされた。なおこの改正に伴って有権者の選挙人名簿への登録が始まったことは、政党の地方組織の発達を促した。こうして中流階級の多くは有権者となったが、取り残された中流階級の下層と労働者階級は、1830年代後半から40年代にかけてチャーティスト運動を展開し、よりいっそうの改革を要求した。しかし彼らの要求はすぐには実現しなかった。

[青木 康]

第2回

第2回の選挙法改正は、1867年に保守党のディズレーリの手で行われた。議席の再配分のほか、州と都市のいずれにおいても選挙資格が拡大され、とくに都市選挙区ではほとんどの戸主が有権者となり、労働者階級も選挙権を得た。有権者は倍近くに増えて、グレート・ブリテンとアイルランドを合わせた連合王国全体では約250万に達し、大衆民主政治と大衆政党の時代が到来した。

[青木 康]

第3回

1884年に自由党内閣によって第3回の改正が行われ、1867年に都市選挙区について定められた戸主選挙権を州選挙区にも拡大することで、農業労働者も有権者に加えられた。この改革に議席再配分が含まれていないことに保守党は反対し、翌85年に、選挙区制の大改革が行われることになった。一部の例外を除き、イギリス全土は人口にほぼ比例した小選挙区(人口5万3000人に一議席)に分割され、都市選挙区と州選挙区との区別は消滅した。その後、1918年の国民代表法により21歳以上の男子について普通選挙が実現し、一部の女子にも選挙権が認められた。さらに、1928年には、男女平等の普通選挙制が定められた。

[青木 康]

『横越英一著『近代政党史研究』(1960・勁草書房)』

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世界大百科事典(旧版)内の選挙法改正の言及

【イギリス】より

… 18世紀末のフランス革命の衝撃や産業発展に伴う権力分布の社会的・地理的な変動に伴い,貴族・地主の寡頭支配への批判が表面化し,政党の活性化や選挙制度,行政機構の改革気運が顕著となる。1832年の選挙法改正によって,従来は有力貴族・地主や政府が事実上私物化していた一部選挙区の改廃や,選挙権の部分的拡大が実現される。これに官職私有化への批判と改革が加わり,国王と上院の下院操縦能力は低下する。…

【グラッドストン】より

…西インドに奴隷制農場を営むリバプールの大貿易商の子に生まれ,イートン校を経て1832年にオックスフォード大学を卒業。同年,第1次選挙法改正後最初の選挙に保守党から当選,以後95年にいたるまで下院議員をつとめた。敬虔なキリスト教徒で,政治家としても生涯キリスト者の信念にもとづいて行動したが,とくに青年時代は,熱烈なトーリー国教主義者で,38年に《国家と教会との関係》を著し,国家と英国国教会の不可分性を力説した。…

【自由党】より

…だが,ナポレオン戦争終了後,1820年代から新興ブルジョア階級と結びつき,以後この階級の思想・利害を積極的に代弁するようになった。その最初の契機となったのは選挙法改正問題で,30年に成立したグレー・ホイッグ党内閣は,参政権(=下院議員の選挙権)を要求するブルジョア階級の意向を全面的に支持し,32年に第1次選挙法改正を実現した。また同党は,国教と非国教の区別がもたらす社会の不合理を攻撃して,非国教徒やベンサム主義者の支持をも取りつけた。…

【チャーチスト運動】より

… 産業革命の終期に当たる1830年代初頭のイギリスでは,富裕な産業資本家層の対極に貧しい労働者階級が形成され,彼らは階級として結束し,労働組合や協同組合をつくり,普通選挙を要求して独自に運動を起こすまでに成長していた。しかし,普通選挙要求は32年の選挙法改正によって否定され,50万人を結集した全国労働組合大連合も,雇主,地方当局,警察の三者が一体となった抑圧にあい,34年に挫折した。さらに同年8月には,低賃金労働者への院外救助を廃した新救貧法が制定された。…

【奴隷廃止運動】より

…結局,T.クラークソンとW.ウィルバーフォースの活動が実って奴隷貿易が廃止されたのは,1807年のことであった。さらに,奴隷制に関しては,第1次選挙法改正の翌年,つまり33年に,議会は奴隷所有者に対して有償で,34年8月1日にイギリス領内の全奴隷を解放することを決定した。 もっとも,全ヨーロッパ的にみると,すでに1792年にはデンマーク王が10年後の奴隷貿易廃止を命じていた先例がある。…

【ビクトリア時代】より

…そして人口の最も大きな部分を占める労働者は,地主階級とも中流階級とも異なる別の世界に生きていた。たしかに一部上層の熟練労働者は労働組合をつくり,1867年には選挙権も獲得し(第2次選挙法改正),自助の生活態度さえ身につけ始めていたが,不熟練労働者の大部分は政治的権利からも疎外され,世紀末のC.ブースとB.S.ラウントリーの調査によるなら,都市域の人口の約3分の1がスラム街に住み,〈貧困〉の状態にあった。B.ディズレーリは,1840年代のイギリス社会を富者と貧者の〈二つの国民〉と称したが,この状況は繁栄期のビクトリア時代にもなお維持されていたといってよい。…

【ピール】より

…34年,国王の指名によって第1次ピール内閣を組織したが,100日余りで野に下った。 1830年のグレー(ホイッグ党)内閣の成立と32年の第1次選挙法改正以来,時代の趨勢はトーリー=保守党からホイッグ=自由党へと大きく傾きつつあったが,彼は野党の保守党をよくまとめ,41年政権に復帰し,第2次ピール内閣(1841‐46)を組織した。もともと彼は,経済の面では自由主義的で,自由貿易政策を支持してきており,政権につくや,関税引下げ政策をよりいっそう拡大した。…

※「選挙法改正」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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