遠藤幸雄(読み)えんどうゆきお

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「遠藤幸雄」の意味・わかりやすい解説

遠藤幸雄
えんどうゆきお

[生]1937.1.18. 秋田,秋田
[没]2009.3.25. 東京,千代田
体操競技選手。東京教育大学卒業オリンピック競技大会五輪)で,1960年ローマ,1964年東京,1968年メキシコと 3大会連続出場を果たした。五輪の男子体操競技団体総合 3連覇に貢献し,東京五輪で日本人初の個人総合優勝に輝き,種目別の平行棒で金,床運動銀メダル獲得した。メキシコ五輪では跳馬で銀メダルを獲得し,3度の五輪で金メダル 5個,銀メダル 2個を獲得した。1980~2007年日本大学教授。1981年日本体操協会理事に就任後,専務理事,副会長など要職を歴任した。1989年日本オリンピック委員会 JOC理事。1964年ヘルムズ賞,1996年紫綬褒章,2008年旭日中綬章を受けた。1999年国際体操殿堂入りを果たした。

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百科事典マイペディア 「遠藤幸雄」の意味・わかりやすい解説

遠藤幸雄【えんどうゆきお】

体操競技選手。秋田県秋田市生まれ。東京教育大学(現筑波大学)卒業。1960年ローマオリンピックで日本初の男子団体総合金メダルの中心となり,1964年東京オリンピックでは男子個人総合,団体総合,種目別平行棒で3つの金メダルを獲得,1968年メキシコシティーオリンピックでも男子団体総合で金メダルを獲得。体操日本の黄金時代を築いた。引退後指導者としても活躍,1999年に国際体操殿堂入りを果たした。日本大学教授。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「遠藤幸雄」の解説

遠藤幸雄 えんどう-ゆきお

1937-2009 昭和後期-平成時代の体操選手,指導者。
昭和12年1月18日生まれ。昭和35年ローマ五輪で団体優勝。39年東京五輪で日本人初の個人総合優勝など,3個の金メダル。43年メキシコ五輪の団体をふくめ,3回の五輪で計5個の金メダルを獲得し,体操ニッポンの主役となった。平成11年国際体操殿堂入り。日大教授,日本体操協会副会長などをつとめた。平成21年3月25日死去。72歳。秋田県出身。東京教育大卒。

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世界大百科事典(旧版)内の遠藤幸雄の言及

【体操】より

…この間,個人戦でもしばしば上位に入賞し,68年のメキシコ・オリンピック大会の床運動で,金,銀,銅メダルを独占した。個人戦でのメーンエベントである個人総合でも,1964年東京オリンピック大会で遠藤幸雄が初めて優勝したのをはじめ,68年メキシコ大会,72年ミュンヘン大会で加藤沢男が2連勝,84年ロサンゼルス大会でも具志堅幸司が優勝した。その後,しばらく日本の体操競技は低迷を続けていたが,95年福井県鯖江市で開催した世界選手権大会では男子団体総合で2位になるなど,再び上位進出を果たした。…

※「遠藤幸雄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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