日本大百科全書(ニッポニカ) 「運河」の意味・わかりやすい解説
運河
うんが
canal
舟運、灌漑(かんがい)、用水、排水のために設けた人工の水路。その多くは陸地を掘削してつくるが、埋立てのときに埋め残してつくった水路、河川を改修してつくった水路、海岸を浚渫(しゅんせつ)した航路も運河とよぶことがある。
[五十嵐日出夫]
種類と構造
運河を機能的に分類すると、水運用運河と灌漑用運河とに大別される。水運用運河はさらに海洋船運河と内陸運河とに分類することができる。海洋船運河は海洋と海洋とを結ぶ運河であり、スエズ運河やパナマ運河などがこれである。内陸運河は二つの河川を連絡したり、河川に並行する運河であり、イギリスのマンチェスター運河、アメリカのイリノイ運河などが著名である。
運河を構造的に分類すると水平運河と有門運河とに分けられる。水平運河は水路の高低差のほとんどない運河をいい、その代表的な例としてスエズ運河があげられる。この運河をつくるためには、平らな地形であるか、掘削工事が困難であるような山地がルート上にないことが必要である。有門運河とは、水位の違う海と海、川と川とを結ぶ運河であり、運河の途中に中間的な落差をつくり、この落差を船が上下できるようロックゲートlock gateが設けられている。有門運河とする理由は、高い水面と低い水面とをそのまま連絡すると水路の流速が大きくなりすぎることと、水路の水深が不足するためである。この種の運河としてはパナマ運河、ドイツのキール運河(ノルト・オストゼー運河)が有名であり、パナマ運河ではこの方式によって湖面の標高26メートルのガトゥン湖まで船を移動させている。
[五十嵐日出夫]
工法
運河工事の主要部分は広い範囲にわたる大量の掘削工事である。このことは工事の機械化のためには好都合であり、スクレーパー、ブルドーザー、パワーショベル、バケット式掘削機などが利用される。運河化された河川では一般に水路幅がかなり広いが、人工水路では水路幅が狭く、両岸は船が通るたびに波で洗われるため、十分な護岸工事を必要とする。また、地形上から盛り土をして水路をつくった所や地下水位の低い高原で運河をつくる場合には、運河からの漏水が多く、岸や河床に粘土層、コンクリート層を設け防水しなければならない。二つの海や二つの大河川を人工運河で結ぶ場合には、水路が水の流れる方向が逆転する分水界を越えることが多い。この場合には多数のロックゲートが必要となり、ロックゲートにいかに水を補給するかが大きな問題となる。このため運河の途中に貯水池を設けたり、水をポンプで汲(く)み上げる施設が必要となる。
[五十嵐日出夫]
歴史
運河の歴史は古く、オリエント文明では、紀元前3000年ごろのメソポタミアやエジプトで、ティグリス川、ユーフラテス川、ナイル川の水を利用した運河がつくられた。また前510年ごろ、スエズ運河の前身ともいうべき地中海と紅海とを結ぶ運河が、ペルシア帝国のダレイオス1世によって計画されたと伝えられる。一方東洋では、黄河文明の栄えた中国で古くからクリークcreek(溝渠(こうきょ))が灌漑、治水用の運河として使用されていた。12~13世紀にかけて黄河(こうが/ホワンホー)と長江(ちょうこう/チャンチヤン)(揚子江(ようすこう/ヤンツーチヤン))を結ぶ、当時としては世界最大の全長約1900キロメートルに及ぶ大運河がつくられた。この中国の大運河時代までの運河は、西洋、東洋を問わず水路の床勾配(こうばい)が緩やかな水平運河であった。14世紀ごろに中国およびオランダの運河にロックゲートが取り入れられ、この時期を境に内陸運河は大きな発達をみた。18~19世紀に入り、土木技術の進歩とともに、産業革命による経済の要請に支えられ運河づくりが活発になった。この時代は交通史上「運河時代」とよばれ、19世紀の鉄道交通の発展、20世紀の道路交通の発展までは、河川および運河が一国の産業発展に大きく貢献していた。
近代の運河について各国別にみると、イギリスでは1776年、マージー川河口よりマンチェスターに至る延長46キロメートルのブリッジウォーター運河が開通した。この運河の成功が近代運河建設の一つの動機となり、3400キロメートルに及ぶ運河網がイギリス全土に張り巡らされた。このほか著名な運河としては、1894年に開通したマンチェスター・シップ運河がある。マンチェスターとアイリッシュ海とを結ぶ運河で、延長約58キロメートル、1~2万トン級の船舶がマンチェスターまでさかのぼることができる。フランスの運河網の中心はセーヌ川以北にあり、総延長は約4800キロメートルである。著名なものとしては、アルザス地方の中央をカンス・ダムからストラスブールまでライン川と並走するアルザス大運河があげられる。丘陵地帯を通過しているため、運河用トンネルが多いことが特徴の一つである。オランダの運河は低地排水と治水を目的につくられた小運河が多い。総延長は約7000キロメートルに達し、ロッテルダム港、アムステルダム港と内陸都市を結んでいる。ベルギーもオランダ同様、排水用運河網が発達し、水運用としては1939年に全通したアルベール運河が有名である。これによってリエージュ重工業地帯とアンベルスの貿易港がオランダを迂回(うかい)することなく直接結ばれた。ドイツはライン川、ウェーザー川、エルベ川、オーデル川の自然河川に恵まれ、これらの河川を横断する運河が内陸都市と結ばれている。著名なものには、ルール地方と北海を結ぶドルトムント・エムス運河や、1938年に開通したミッテルラント運河がある。ソ連の運河は延長約13万キロメートルにも達していた。著名なものに白海バルト海運河(1933)、モスクワ・ボルガ運河(1937)、ボルガ・ドン運河(1952)があり、これらの運河によりモスクワが海につながる内陸港となった。アメリカでは19世紀の初頭、五大湖を中心にして重要な運河が開通した。同国の運河の特徴は河川の運河化による大規模なものが多く、ニューヨーク州バージ運河、イリノイ運河が有名である。
海洋船運河は19世紀末期から20世紀初期にかけて発達した。これらの運河としてはスエズ運河(ポート・サイド―スエズ間約162キロメートル、1869年開通)、キール運河(北海―バルト海間約98キロメートル、1895年開通)、パナマ運河(太平洋―カリブ海間約82キロメートル、1914年開通)が有名であり、内陸運河のマンチェスター・シップ運河(マンチェスター―マージー川間約58キロメートル、1894年開通)とあわせて世界の四大運河と称されている。
またヨーロッパにおいては、1921年から建設が進められたライン・マイン・ドナウ運河が1992年に完成した。この運河の開通により、北海から黒海の横断が可能になり、ヨーロッパ各国が運河で相互に結ばれた。
外洋間を結ぶ運河は国際貿易に及ぼす影響や軍事的意義が大きく、国際政治、国際法の分野で重要な問題とされてきている。
[五十嵐日出夫・鈴木聡士]
運河の現代的意義
経済が高度に発達して、生活、産業間の有機的連関が強まり、一方においては土木工事の機械化、土木材料の開発による土木技術の進歩が著しい現在において、運河を大出水調節、灌漑排水、電力開発、水運などのために建設することが可能となった。運河の建設による新たな水資源開発は、土地改良保全、森林資源の開発のみならず、大量安価な電力エネルギーの供給や低廉な輸送手段の提供を通し、地域の産業開発を促進させる。日本においては、鉄道や自動車輸送などの発展により、運河の利用は少なくなっている。しかし世界的には、レジャーでの利用、あるいは環境・エネルギー問題への対応に関連して、水力発電利用など、その意義が見直されている。
[五十嵐日出夫・鈴木聡士]