遊行僧(読み)ゆぎょうそう

世界大百科事典(旧版)内の遊行僧の言及

【僧】より

…ほかに,経典の詠唱や梵唄に巧みな経師,唱礼師,作梵法師といわれる僧がいて,講席や法会を華やかなものにした。また民衆に対して,弁舌たくみに譬喩をまじえながら仏法を平易に説く唱導師,説法師がおり,村々を布教してまわる遊行僧,化俗(けぞく)法師とよばれる僧が活躍した。南北朝以来,造像を目的とした邑義,慧遠の白蓮社に始まるといわれる法社などの信仰団体が各地に結ばれ,その教化指導に当たる僧を邑師,社僧といった。…

【漂泊民】より

… これらの漂泊・遍歴する人々,旅する人々は,定住状態にある人々とは異なった衣装を身につけた。鹿の皮衣をまとい,鹿杖(かせづえ)をつく浮浪人や芸能民,聖,蓑笠をつけ,あるいは柿色の帷を着る山伏や非人,覆面をする非人や商人,さらに縄文時代以来の衣といわれる編衣(あみぎぬ)を身につけた遊行僧の姿は,みな漂泊民の特徴的な衣装であった。また日本においては女性の商人・芸能民・旅人も多かったが,この場合も,壺装束という深い市女笠(いちめがさ)をかぶり,襷(たすき)をかけた巫女の服装に共通した姿をしたり,桂女(かつらめ)のような特有の被り物(かぶりもの)をするのがふつうであった。…

【遊行】より

…近世に入ると幕府の朱印状,保護を得,遊行も権威主義的になり,その華美を批判されるようになったが,反面,時代に即して現世利益の布教に傾き,諸種のお守札を配ったりもした。時宗【梅谷 繁樹】
[中国の遊行僧]
 寺院を離れ,村落や街巷を説法教化しながら巡遊する布教師を中国で遊行僧という。南北朝時代,義邑・法社など信者組織の発生にともない邑師・社僧たちの活躍が著しく,さらに寺院・邑社に定住することなく民衆教戒に従う僧が増える。…

※「遊行僧」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」