近衛秀麿(読み)コノエヒデマロ

デジタル大辞泉 「近衛秀麿」の意味・読み・例文・類語

このえ‐ひでまろ〔コノヱ‐〕【近衛秀麿】

[1898~1973]指揮者作曲家。東京の生まれ。篤麿の子、文麿の弟。芸術院会員。山田耕筰とともに日本交響楽協会創立、のち新交響楽団(現NHK交響楽団)を結成日本交響楽団育成に努める。作曲に「ちんちん千鳥」など。

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精選版 日本国語大辞典 「近衛秀麿」の意味・読み・例文・類語

このえ‐ひでまろ【近衛秀麿】

指揮者、作曲家。篤麿の二男。文麿の弟。東京に生まれる。東京帝大を中退し、ヨーロッパ留学。帰国後、山田耕筰とともに日本交響楽協会を結成。のち新交響楽団(現在のNHK交響楽団)を組織編曲に「越天楽(えてんらく)」などがある。日本芸術院会員。明治三一~昭和四八年(一八九八‐一九七三

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百科事典マイペディア 「近衛秀麿」の意味・わかりやすい解説

近衛秀麿【このえひでまろ】

指揮者,作曲家。近衛篤麿次男。兄は近衛文麿山田耕筰に作曲を学び,1923年−1924年のヨーロッパ留学中にはパリでダンディに作曲を,ベルリンでE.クライバーらに指揮法を学ぶ。1927年に新交響楽団(現NHK交響楽団)を創設ベートーベンマーラー交響曲を日本初演するなど日本のオーケストラ育成に大きな功績をはたした。

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改訂新版 世界大百科事典 「近衛秀麿」の意味・わかりやすい解説

近衛秀麿 (このえひでまろ)
生没年:1898-1973(明治31-昭和48)

指揮者,作曲家。政治家文麿の弟,雅楽研究家直麿の兄。作曲を山田耕筰に学び,1923年ヨーロッパに留学し,E.クライバーらに指揮法を学ぶ。国内・国外における演奏活動は1920年代半ばから70年代初めまでほぼ半世紀におよび,とくに1927年に新交響楽団(現,NHK交響楽団)を創設して以来,持続的に日本のオーケストラを育成した功績は大きい。またベートーベン,モーツァルト,マーラー等の交響曲のいくつかが,昭和初期に彼の指揮で本邦初演されている。作品では童謡《ちんちん千鳥》が有名。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「近衛秀麿」の意味・わかりやすい解説

近衛秀麿
このえひでまろ
(1898―1973)

指揮者、作曲家。政治家文麿(ふみまろ)異母の弟、雅楽研究家直麿の兄。東京生まれ。東京帝国大学文学部中退。1923年(大正12)に渡欧し、ダンディ、E・クライバーらに作曲と指揮を学んだ。25年に山田耕筰(こうさく)と日本交響楽協会を創設するが、翌年分裂・改組して新交響楽団(NHK交響楽団の前身)を結成、以後10年間同楽団を主宰・指揮した。12回にわたり欧米に演奏旅行を試み、90余の交響楽団を指揮。第二次世界大戦後は、52年(昭和27)に近衛交響楽団(56年にABC交響楽団に改組)を組織。生涯にわたって日本のオーケストラの普及に尽力し、モーツァルト、ベートーベン、マーラーなどの交響曲の日本初演も多く手がけた。48年芸術院会員。作曲作品に『御大典交声曲』、童謡『ちんちん千鳥』、『越天楽(えてんらく)』の編曲などがある。

[川口明子]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「近衛秀麿」の解説

近衛秀麿
このえひでまろ

1898.10.18~1973.6.2

大正・昭和期の指揮者・作曲家。近衛篤麿の子,文麿の異母弟。東京都出身。東大中退後1923年(大正12)渡欧,25年帰国後,山田耕筰(こうさく)と組んだ日本交響楽協会創立をへて,26年(昭和元)新交響楽団(現,NHK交響楽団)を主宰。36年再渡欧,10年間にわたり国際的に指揮活動を行った。帰国後も多くの楽団を指揮,52年近衛管弦楽団を組織するなど戦後日本の交響楽団促進に大きな足跡を記した。主要作品「越天楽(えてんらく)」(オーケストラ編曲),童謡「ちんちん千鳥」。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「近衛秀麿」の解説

近衛秀麿 このえ-ひでまろ

1898-1973 昭和時代の指揮者。
明治31年11月18日生まれ。近衛篤麿(あつまろ)の次男。近衛文麿(ふみまろ)の弟。大正12年渡欧,作曲,指揮をまなぶ。15年新交響楽団(現N響)を,昭和27年近衛管弦楽団(のちのABC交響楽団)を結成,日本のオーケストラの基礎をきずく。欧米各地にも客演し,歌曲「ちんちん千鳥」の作曲,「越天楽(えてんらく)」の編曲などでも知られる。芸術院会員。昭和48年6月2日死去。74歳。東京出身。東京帝大中退。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「近衛秀麿」の意味・わかりやすい解説

近衛秀麿
このえひでまろ

[生]1898.11.18. 東京
[没]1973.6.2. 東京
音楽指揮者,作曲家。篤麿の次男。ドイツに留学し,E.クライバーに師事。 1925年山田耕筰と日本交響楽協会 (NHK交響楽団の前身) を設立。 48年日本芸術院会員。代表作品に,雅楽『越天楽』のオーケストラ編曲など。主著『風雪夜話』。

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旺文社日本史事典 三訂版 「近衛秀麿」の解説

近衛秀麿
このえひでまろ

1898〜1973
大正・昭和期の指揮者
文麿の弟。東京の生まれ。山田耕筰に師事。1923年ヨーロッパに留学し,帰朝後山田とわが国最初の日本交響楽団を創立。のち新交響楽団を,さらに第二次世界大戦後には近衛交響楽団を主宰。わが国の交響楽普及に貢献した。

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世界大百科事典(旧版)内の近衛秀麿の言及

【NHK交響楽団】より

…日本を代表する交響楽団で,1926年東京で日本放送協会の援助のもとに新交響楽団(新響と略称)として発足。初代指揮者は近衛秀麿で,翌27年定期演奏会を開始。36年ローゼンストックを常任指揮者に迎えるに及び飛躍的にその質を向上。…

【レコード】より

…これによって,これまで輸入に頼っていた洋楽レコードが原盤の供給を受けて国内プレスされるようになり,日本の音楽界の西欧化に強力な影響を及ぼした。その中で,30年近衛秀麿指揮,新交響楽団によるマーラーの《交響曲第4番》(パーロフォン)は,マーラーの交響曲の世界初の全曲録音であった。1927年に《レコード音楽》誌が創刊,この時期からレコード批評もおこった。…

※「近衛秀麿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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