近衛家煕(読み)このえ・いえひろ

朝日日本歴史人物事典 「近衛家煕」の解説

近衛家煕

没年:元文1.10.3(1736.11.5)
生年:寛文7.6.4(1667.7.24)
江戸中期の公家。代表的文化人のひとり,近衛家21代当主。予楽院,物外楼主人,青々林などと号した。父は関白太政大臣基煕,母は後水尾天皇の皇女常子内親王。延宝1(1673)年元服,同4年権中納言,元禄6(1693)年右大臣,宝永1(1704)年関白,その後,摂政,太政大臣を経て准三宮に至る。享保10(1725)年致仕。その後,河原二条に居を移して『唐六典』の校訂に力を注ぐ。茶の湯,立花,香,書画などをよくし,古筆断簡を整理した『大手鑑』(国宝,陽明文庫蔵)や百数十種の植物を写生した『花木真写』などが残る。 茶の湯は,梶井門跡常修院宮慈胤法親王から,後西天皇,興福寺門跡一条院宮真敬法親王らに伝わった宮廷の茶を学び,体系化して独自の宮廷茶の湯を確立し,これを教授。正徳3(1713)年から享保2年の間に自ら催した308会にわたる記録『御茶湯之記』(11冊)や,遺愛の後西院,千利休,小堀遠州などの茶杓31本を収めた『茶杓箪笥』(陽明文庫蔵)が伝存。自筆の日記として『家煕公記』が残る。また侍医山科道安が家煕の言動を記した『槐記』は,その博覧ぶり,人となりを窺うのに格好資料である。自作茶道具として茶碗や茶杓などがある。<著作>『槐記』(『茶道古典全集』5巻)

(谷端昭夫)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「近衛家煕」の意味・わかりやすい解説

近衛家煕
このえいえひろ
(1667―1736)

江戸中期の公卿(くぎょう)。関白基煕(もとひろ)の子。母は後水尾(ごみずのお)天皇の皇女常子内親王。関白、摂政(せっしょう)、太政(だいじょう)大臣、准三宮(じゅさんぐう)を歴任。1725年(享保10)落髪して法名を真覚といい、予楽院(よらくいん)と号した。吾楽軒(がらくけん)、昭々堂主人、虚舟子などの別号もある。学問を好み、詩歌、書、茶の湯、立花など諸芸に通じ、その博学、多識ぶりは侍医山科道安(やましなどうあん)が家煕の言行を集録した『槐記(かいき)』(11巻)にうかがえる。ことに書においては平安朝の上代様(じょうだいよう)の復興を志向した能書家として大成した。賀茂祠官で大師流の藤木生直(ふじきなりなお)、近衛家家臣の寺田無禅(むぜん)に書法を学んだとも伝えるが、習書法の中心は近衛家に伝わった和漢の古名跡の臨模にあった。陽明(ようめい)文庫に伝存する『予楽院模写手鑑(てかがみ)』には「喪乱帖(そうらんじょう)」「久隔帖(きゅうかくじょう)」「寸松庵色紙(すんしょうあんしきし)」「継色紙(つぎしきし)」など225枚が収められ、日ごろの鍛練ぶりがうかがえる。

[神崎充晴]

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改訂新版 世界大百科事典 「近衛家煕」の意味・わかりやすい解説

近衛家煕 (このえいえひろ)
生没年:1667-1736(寛文7-元文1)

江戸中期の公卿。関白基煕の男,母は常子内親王。号は虚舟。法号予楽院。権大納言,右大臣などを経て,1704年(宝永1)左大臣,07年関白となる。さらに09年摂政,10年太政大臣となる。25年(享保10)12月24日出家し,真覚と号す。すこぶる文を好み,書をよくし,また茶の湯などにも精通し,博学多識ぶりは,その言行を筆録した侍医山科道安の《槐(かい)記》にうかがえる。
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百科事典マイペディア 「近衛家煕」の意味・わかりやすい解説

近衛家煕【このえいえひろ】

江戸中期の公卿(くぎょう),書家。関白,摂政,太政大臣を経て,准三后となり,剃髪(ていはつ)して真覚(しんかく)予楽(よらく)院と号した。書は初め賀茂流を学び,のち家伝の古名跡に習って和様の書人として一家を成した。代表作に楷書(かいしょ)《秋声賦》,草書《千字文》など。博学で,画,茶,花などにも通じており,そのことは侍医山科道安(やましなどうあん)の記した家煕の言行録《槐記(かいき)》にうかがえる。→千字文

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「近衛家煕」の意味・わかりやすい解説

近衛家煕
このえいえひろ

[生]寛文7(1667).6.4. 京都
[没]天文1(1736).10.3. 京都
江戸時代中期の公家,書家。基煕の子。宝永4 (1707) 年関白,同6年摂政,同7年太政大臣。享保 10 (25) 年仏門に入り,予楽院と号した。礼典,詩歌,茶花の道にも通じた。書は御家流 (→青蓮院流 ) の和様書道に満足できず,藤原行成の書風に傾倒しその再興に努めたが,自運よりも臨書が巧みであった。主要作品『万代帖』『丹い箴 (たんいしん) ,防微箴』。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「近衛家煕」の解説

近衛家煕 このえ-いえひろ

1667-1736 江戸時代前期-中期の公卿(くぎょう)。
寛文7年6月4日生まれ。近衛基煕(もとひろ)の子。母は常子内親王。宝永4年(1707)関白,氏長者となり,摂政をへて,7年太政大臣。従一位。享保(きょうほう)10年(1725)准三宮(じゅさんぐう)となるが,同年出家。有職(ゆうそく)故実に通じ,和歌,書画,茶道などにもすぐれた。元文元年10月3日死去。70歳。号は予楽院,吾楽軒など。日記に「家煕公記」,画集に「花木真写」など。

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367日誕生日大事典 「近衛家煕」の解説

近衛家煕 (このえいえひろ)

生年月日:1667年6月4日
江戸時代中期の公家
1736年没

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世界大百科事典(旧版)内の近衛家煕の言及

【書】より

…宸翰としては後水尾天皇や霊元天皇に和歌懐紙など伝存するものも少なくないが,学殖豊かな風格は争えないものがある。三藐院の4代後の近衛家熙(いえひろ)(1667‐1736)は予楽院と号し,博学多識の学者であり,書は平安時代の仮名に習熟し,江戸時代を通じて古典を再現した第一人者であろう。 近世の書道史上に忘れてならないのは中国明人の来朝である。…

※「近衛家煕」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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