精選版 日本国語大辞典 「近江八幡」の意味・読み・例文・類語
おうみはちまん あふみハチマン【近江八幡】
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滋賀県中部,琵琶湖東岸に位置する市。2010年3月旧近江八幡市と安土(あづち)町が合併して成立した。人口8万1738(2010)。
近江八幡市東部の旧町。旧蒲生(がもう)郡所属。人口1万2080(2005)。湖東平野の米作地帯にあり,東部に安土山,繖(きぬがさ)山,箕作(みづくり)山の西斜面が広がる。北部の大中之湖には1946年に計画され67年に完了した大中之湖干拓地があり,その南には西の湖がある。古くから開けた地で,縄文~鎌倉時代に至る大中之湖南遺跡や4世紀のものと推定される瓢簞山古墳などがある。中世は近江守護佐々木(六角)氏の本拠となり,六角氏は南北朝期には観音寺山(繖山)に観音寺城を築き,1549年(天文18)には城下町の石寺新市を全国で最も早く紙の楽市としている。六角氏を滅ぼした織田信長は76年(天正4)に安土山に安土城の築城を始め,翌77年には城下町建設の掟を下し,楽市・楽座を設けている。城は79年に完成,80年には城下町もほぼ完成した。82年の本能寺の変で信長が倒れた後は豊臣秀次の領地となったが,秀次は居城を近江八幡に定め,城や城下町も移したので,安土は衰退した。米作を中心とする農業が古くから盛んであったが,近年畜産や野菜栽培が導入されている。観音寺,桑実(くわのみ)寺など古刹(こさつ)が多い。県立安土城考古博物館など,安土城関係の施設も充実している。JR東海道本線が通る。
執筆者:松原 宏
近江八幡市中西部の旧市。1954年八幡町と岡山,金田,桐原,馬淵の4村が合体して市制,改称。人口6万8530(2005)。市街は1585年(天正13)豊臣秀次が築いた八幡城の城下町として始まった。八幡城は10年余で廃城となったが,八幡は商業都市として再生した。町民は特産物の蚊帳,畳表,麻布などを江戸や蝦夷まで売り歩き,近江商人の素地をつくった。八幡山を取り巻く八幡堀は,江戸時代には琵琶湖に通じる運河として水運に利用された。明治時代に鉄道を敬遠したため,東海道本線の近江八幡駅と旧市街が1.5kmも隔たっていて不便であったが,第2次世界大戦後,新市街が形成され,他方,旧市街は今なお碁盤目状の古い町並みを残している。近江八幡駅からは近江鉄道線が分岐する。北部の奥島山(424m)の南麓に西国三十三所の第31番札所長命寺がある。八幡山南麓の日牟礼(ひむれ)八幡宮は3月中旬の左義長(さぎちよう)祭で有名。
執筆者:井戸 庄三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…戦国期になると麻蚊帳が出てくる。このころからは蚊帳も商品化が進み,江戸時代の初めにかけて奈良や近江八幡が麻蚊帳の産地として発展してきた。奈良は苧麻晒(ちよまさらし)の産地であったために早くから産地化した。…
…近江国蒲生郡の近世以降の町名。現在は滋賀県近江八幡市。湖東平野にあり,北は琵琶湖に面する。…
※「近江八幡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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