日本大百科全書(ニッポニカ) 「近代経済学」の意味・わかりやすい解説
近代経済学
きんだいけいざいがく
マルクス経済学に対する用語。近代経済学という語に対応する英語はmodern economicsであるが、欧米にはこの語に、近代の経済学あるいは現代の経済学という、通常の意味以外の特殊な意味をもたせる用語法はない。しかし、日本では、第二次世界大戦後のおおよそ1950年代のなかばごろに、近代経済学という語の特殊な用語法が定着した。すなわち、早坂忠(ただし)(1931―1995)によれば「1870年代初頭におこった限界革命から今日に至るまでの、歴史学派と制度学派とを除く、非マルクス系の経済学ほぼ全体を、一口に近代経済学と呼ぶ」(「『近代経済学』とは何か」)のである。
近代経済学のこの特殊な用語法は、「近経」と略称され、「近経」と「マル経」(マルクス系の経済学の略称)という二つの経済学の観念は、大学の経済学のカリキュラムに二つの講義を併置するという形で、また学会も二つの学会が設立されるという形で、いわば制度化された。
もっとも、このたぐいの先駆というべきものが、すでに1927年(昭和2)に、東京商科大学(現、一橋大学)の「経済原論」の講義にあった(福田徳三と大塚金之助による並行講義)。
しかし、日本において、マルクス経済学に対抗するものとして、「近代経済学」(当初は、むしろ「近代経済理論」という語が用いられた)という語が文献のうえで使われ始めたのは、O・R・ランゲの論文「マルクス経済学と近代経済理論」Marxian Economics and Modern Economic Theory(Review of Economic Studies, June 1935)以後のことであるといわれている。なお、このランゲの論文は、柴田敬(しばたけい)(1902―1986)の論文「マルクスの資本主義分析とローザンヌ学派の一般均衡理論」Marx's Analysis of Capitalism and the General Equilibrium Theory of the Lausanne School(The Kyoto University Economic Review, July 1933)に刺激されて書かれたものであり、早坂忠が指摘したように、「『近代経済学』という語は発生的にも極めて日本と密着していた」。
第二次世界大戦後の日本に「近代経済学」という語の特殊な用語法が成立するについては、遠近さまざまの要因が働いたものと思われる。戦前、日本には欧米のいろいろな経済学が導入されたが、日本の土壌に定着した外国経済学の唯一は、大正の初期から中期にかけて定着したマルクス経済学であった。いろいろな学派の非マルクス系の経済学も導入されたが、部分的になりがちで、マルクス経済学に比べ体系性に欠けるうらみがあった。そのため、日本の経済学界の多数派はマルクス経済学者で占められる結果となった。しかし、少数派ではあったが、非マルクス系の経済学の体系的研究は、とりわけM・E・L・ワルラスの経済学を中心に、高田保馬(やすま)、中山伊知郎、安井琢磨(たくま)らによってしだいに進められていた。戦後開花する近代経済学の基礎は、少なくとも昭和初期には、ひそかに培われていたのである。
第二次世界大戦の戦時下には、神がかり的な国粋主義経済学が跳梁(ちょうりょう)した。戦後、近代経済学のもとに結集した経済学者たちが抱いた理念は、イデオロギーや怪しげな形而上(けいじじょう)学から自由な、経験科学としての経済学のそれであった。
第二次世界大戦後、「近代経済学」という語の普及に、杉本栄一のベストセラー『近代経済学の解明』(1950)は大いに貢献した。しかし、皮肉なことに、杉本の定義した「近代経済学」は、「古典学派の解体ののちに成立した、年代的にいって、1860、70年代に成立した諸々の経済学」の総称であり、マルクス経済学を含めたものであった。
ところで、「近代経済学」という語によって、限界革命以降の非マルクス系の経済学を包括して考えることの意義はどこにあるか。もとより、限界革命によって近代経済学の基礎が築かれた、ということである。限界革命が革命であったか否かは異論のあるところであるが、イギリスのW・S・ジェボンズ(1871)、オーストリアのC・メンガー(1871)、およびスイス・ローザンヌのワルラス(1874)の3人が、それぞれ独立に成し遂げた偉業、すなわち、古典学派の生産費価値論を退け、それにとってかわる効用価値論を展開し、その後の経済分析の発展にもたらした革新によって、近代経済学の基礎が築かれた、ということには異論はなかろう。限界革命は、「古典派の経済学が供給、生産および分配を中心に考えていたものを、むしろ需要と消費といった主観的な要素を強調する方に、経済理論の焦点を大きく移動させたばかりでなく、競争的価格理論の精緻(せいち)化、価値、生産および分配理論の統合、経済論理の洗練、および分析の数学的方法の拡張を含めて、経済学の主題の包括的体系化のための基礎を築いた」(コーツAlfred William Coats。1924―2007)。しかし、革新を開いた3人の業績を一括するには、それぞれの業績は、「単に形式においてばかりでなく、本質的な内容と意図についても大変重要な違いがあった」(ジャッフェWilliam Jaffé。1898―1980)。したがって、近代経済学には、オーストリア学派(メンガーが始祖)、ローザンヌ学派(ワルラス)、ケンブリッジ学派(A・マーシャル)、その後加わった北欧学派(K・ウィクセル)の諸学派の経済学が含まれることになる。1930年代に至ると、J・M・ケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』(1936)がケインズ革命をもたらし、かつまたJ・R・ヒックスの『価値と資本』(1939。主として前半部)が世界の経済学者の関心を集め、いわば近代経済学のいわゆるパラダイムが成立したかの観を呈する。
しかし、1970年代前後になって、このパラダイムに影がさしてくる。スタグフレーション、公害問題、国際通貨問題、資源問題など、「経済学の危機」が表面化するに至り、近代経済学は、パラダイムの独占よりも、パラダイム成立前の諸学派の蘇生(そせい)と競合が目だつようになった。マクロ理論についても同様で、ケインジアンに対しマネタリストはむしろA・スミス的ビジョンを復活させた。また、ケンブリッジ学派のスラッファPiero Sraffa(1898―1983)のいわば古典学派への復帰、J・V・ロビンソンらのマルクス経済学への接近など、過渡期を迎えた近代経済学が、かつて視点と接近方法が異質であることを理由に排除した歴史学派と制度学派との境界を自らあいまいにすることも生じてくると考えられる。
[佐藤隆三]
『早坂忠著「『近代経済学』とは何か」(稲田献一・岡本哲治・早坂忠編『近代経済学再考』所収・1974・有斐閣)』▽『R・D・コリソン・ブラック、A・W・コーツ、C・D・W・グッドウィン編著、岡田純一・早坂忠訳『経済学と限界革命』(1975・日本経済新聞社)』▽『玉野井芳郎・柏崎利之輔編『近代経済学の系譜』(1976・日本経済新聞社)』▽『美濃口武雄・早坂忠編『近代経済学と日本』(1978・日本経済新聞社)』▽『安井琢磨著『経済学とその周辺』(1979・木鐸社)』▽『杉本栄一著『近代経済学の解明』上・下(岩波文庫)』