農業公害(読み)のうぎょうこうがい(英語表記)agricultural pollution

日本大百科全書(ニッポニカ) 「農業公害」の意味・わかりやすい解説

農業公害
のうぎょうこうがい
agricultural pollution

農産物の生産および加工に伴って発生する環境汚染をいう。生産段階で農薬化学肥料などを散布することによって生じる場合のみならず、食料品の加工、小売段階で生じる場合、農業生産者の生活汚水などによる場合などが含まれる。

 すなわちわが国で問題になっている農業公害現象は、農薬使用による作物・家畜、生態系全体ひいては人体への汚染、化学肥料の多投による土壌・水質の汚染、ハウス園芸用のビニルなどの農業資材の廃棄による汚染、家畜糞尿(ふんにょう)などによる畜産公害、食品加工業の廃棄物による汚染、などである。このうちとくに、農薬や添加物の使用がもっとも重大なものであり、これらが食品に多量に含まれることにより、人間の健康と生命が直接脅かされている。

 農業公害のなかでも農薬汚染の進行が著しい。農薬の歴史で有名な殺虫剤にDDT(1938創製)やBHC(1943創製)があるが、これらが実際に農薬として使用され始めたのは1950年代である。当時は人畜無害と信じられ、DDTなどは人にもシラミやノミの駆除のために頭から全身散布したほどであった。また、イネのいもち病の防除のために有機水銀剤であるセレサンが多投され、あわせてメイチュウの駆除に有機燐(りん)剤のパラチオンやマラソンの使用が急増した。

 このような農薬使用によって全国各地で農薬中毒が発生し、またカドミウムが原因のイタイイタイ病や有機水銀が原因の水俣(みなまた)病などの公害病が社会問題化するにつれ、水銀剤と有機燐剤の有害性が検討され、1971年(昭和46)に農薬取締法の抜本的改正がなされて、DDT、BHC、245Tおよび有機燐剤の使用禁止が決定された。

 日本の高度経済成長期の農薬使用量はイスラエルに次ぎ、アメリカの7倍にも達していた。1970年以降は有機塩素剤の除草剤の使用が増加し、80年代にはダイオキシンの危険性が国内的にも国際的にも指摘された。日本の水田土壌の広範囲にわたって残留ダイオキシンが検出されており、とくに90年代後半以降、米や農作物への汚染が顕在化している。

 1999年(平成11)に農業基本法が改正されて新しい「食料・農業・農村基本法」が施行され、自然循環機能の維持増進によって農業の持続的発展を目ざす政策が開始された。それは農薬、化学肥料の適正使用を推進するものである。具体的には、農業環境三法といわれる「家畜排せつ物の管理の適正化及び利用の促進に関する法律」「持続性の高い農業生産方式の導入の促進に関する法律」「肥料取締法」である。

 以上のような農業公害に対する対策にとって重要なことは、農産物の生産加工段階での農薬使用を最小限にしていく生産技術体系の確立と普及が不可欠である。すなわち、無農薬・無化学肥料の有機農法や減農薬・減化学肥料のIP農法(統合的生産方法)を消費者と提携し、産直方式によって実現していくことである。

[松木洋一]

『R・カーソン著、青樹簗一訳『沈黙の春――生と死の妙薬』(新潮文庫)』『尾形保他著『環境汚染と農業』(1975・博友社)』『福島要一著『農薬も添加物のひとつ』(1984・芽ばえ社)』『全国農業協同組合連合会編『環境保全と農・林・漁・消の提携』(1999・家の光協会)』『河野修一郎著『日本農薬事情』(岩波新書)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「農業公害」の意味・わかりやすい解説

農業公害 (のうぎょうこうがい)

農業が原因者となって発現する公害。家畜の糞尿(ふんによう)や悪臭,騒音などによる人間生活環境の破壊,すなわち〈畜産公害〉が大きな問題だが,このほか施設園芸用のビニル廃棄物が山や河川,海などに投棄され,自然生態系を破壊する〈ビニル公害〉とか,広い水田地帯で稲わらを焼却し,煙が交通障害をひき起こす〈稲わら公害〉などといったものも日常化してきている。人体被害の発現までには至っていないが,農作物に散布される農薬が作物や土壌,水域に残留し魚類を毒死させたりする場合もあるので,農薬による環境汚染も消費者からはおおいに警戒されている。また家畜の飼料に投入される抗生物質の中には,発癌性のおそれがあるから有毒だといって,消費者から警戒される場合もある。それでは,なぜこのような農業公害が起こるのか。その原因の一つには,農業技術の近代的な進歩のあり方にかかわる問題がある。本来,農業は自然生態系と調和しこれを保全する機能をもつと考えられてきたが,最近における農業技術の進歩には化学工業や資材工業,機械工業などの工業的技術革新の成果がとり入れられ,農業の生態学的限界をこえて,いわゆる“農業の工業化”という形での進歩が著しく進んできた。また経済性,効率性を追求する結果,大規模生産・大規模流通方式が積極的に推進されてきた。それらの総合的結果として,自然生態系の破壊,生活環境の汚染,公害が発現されてくるようになり,本来,自然環境と調和しこれを保全すべき農業が,農業公害をひき起こす主体に変移してきたというわけである。また経済性を重視するあまり,廃棄物の処理とか堆厩肥(たいきゆうひ)作りなどのような手間をコストにしていくとひき合わない諸作業はあえて無視するという技術的風潮の中に,公害発生の要因が内発するようになってきたとみることもできる。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「農業公害」の意味・わかりやすい解説

農業公害
のうぎょうこうがい

農業を媒介として生じる公害。 (1) 農業が受けるものと,(2) 農業が引起すものとの2面がある。 (1) 農業地帯に工業が立地し,都市化が進むと,それにつれて農業用水,工業用水,都市用水の間に複雑な競合関係が生じる。特に水利体系を前提とする水田作が立地基盤になっている日本では,鉱山や工場からの有害物質による水質汚濁は土壌,作物汚染につながり,究極的には人体を汚染する。 (2) 農業技術が段階的に進歩していく過程で,化学薬剤が多用されるようになると,自然生物を死滅させ,生態系を破壊するだけではなく,有害物質が土壌や作物のなかに残留し,ついには人体を汚染するようになる。また,都市近郊における畜産の廃棄物は土地に還元されずに悪臭とともに環境汚染をもたらし,農水産物の加工廃液や農業用ビニル廃棄物も水質汚濁と環境汚染を招いている。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android