転びキリシタン(読み)コロビキリシタン

デジタル大辞泉 「転びキリシタン」の意味・読み・例文・類語

ころび‐キリシタン【転びキリシタン】

権力に屈して、キリシタン宗門を捨てた信徒。特に、江戸幕府のキリシタン弾圧政策による宗旨糾明・拷問の場においてキリシタン信仰自ら否定した者。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「転びキリシタン」の意味・わかりやすい解説

転びキリシタン
ころびキリシタン

江戸時代キリスト教徒迫害強制されて改宗した者。聖職者の場合は転びバテレン,転びイルマンという。「ころび」というのは,俵責めの拷問にあって棄教して転び出されたからという。慶長 18 (1613) 年,全国的に出されたキリスト教禁制は次第に強化され,迫害,拷問により棄教改宗を強制した。請人 (うけにん) 手形や改心誓詞を取って改宗を確認したが,再び宗門に帰る者 (立返り者) もあり,また改宗は表面だけでひそかに教義を伝える隠れキリシタンも多く,特に九州では秘密組織をつくり,明治にいたるまで信仰活動を続けた。

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百科事典マイペディア 「転びキリシタン」の意味・わかりやすい解説

転びキリシタン【ころびキリシタン】

単に転びとも。迫害のため棄教,転向したキリシタン。岡本三右衛門(おかもとさんえもん)(キアラ),沢野忠庵(さわのちゅうあん)(フェレイラ),ハビアンなど。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「転びキリシタン」の解説

転びキリシタン
ころびキリシタン

江戸時代,キリシタンを棄教した者。キリシタンを俵責めした際,転んで助けを求めることから,棄教を転ぶというようになった。棄教の証拠として,寺請・俗請のかたちで請人手形や南蛮誓詞を提出させたり,絵踏が実施された。棄教したのち再び信仰に復帰することを立帰り・立上がりといい,島原の乱に蜂起したキリシタンはこれにあたる。表面上棄教したままキリシタンとして潜伏した者も少なくなかった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「転びキリシタン」の解説

転びキリシタン
ころびキリシタン

江戸初期,迫害により棄教改宗したキリシタン
江戸時代にはキリシタンへの迫害は厳格をきわめ,俵に入れ積み重ねて改宗をせまるなどあらゆる拷問 (ごうもん) を加えた。その結果改宗した者を,当時「ころぶ」といったことからこのように呼んだ。

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世界大百科事典(旧版)内の転びキリシタンの言及

【改宗】より

…特定の宗教の信仰を別のそれに変えること。これは外発的なものと内発的なものとに分かれる。前者は家族や職業などの要請にもとづき,共同生活を円滑に運ぶためにおこなわれる。後者は痛切な人生体験によって自己の属する宗教に疑問をもつことから生ずるもので,いわゆる〈回心〉に基づいてなされることが多い。西欧世界では,カトリックとプロテスタント相互の間で多くみられ,とくにカトリックから他派へ移る場合は棄教,離教,背教などと呼ばれる。…

【背教】より

…日本では16世紀中期以降カトリック・キリスト教が伝えられたが,やがてきびしい迫害にあい,多くの背教者がでた。いわゆる踏絵による〈転びキリシタン〉がそれである。しかし他面,江戸時代になるとキリスト教の禁圧にもかかわらず,表面的には棄教を装いつつ,ひそかにマリア観音などをつくって信仰を持続したキリシタン(隠れキリシタン)もいた。…

※「転びキリシタン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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