軍法会議(読み)グンポウカイギ(英語表記)court martial

デジタル大辞泉 「軍法会議」の意味・読み・例文・類語

ぐんぽう‐かいぎ〔グンパフクワイギ〕【軍法会議】

軍人・軍属などを裁判する特別刑事裁判所。日本では大正10年(1921)に設置、昭和21年(1946)廃止。軍事裁判所

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精選版 日本国語大辞典 「軍法会議」の意味・読み・例文・類語

ぐんぽう‐かいぎ グンパフクヮイギ【軍法会議】

〘名〙 軍事裁判法により軍人、軍属などに関する刑事裁判を取扱う特別裁判所。平時から常設されるものと戦時特設されるものとがあり、訴訟手続が異なる。長官は軍隊の指揮官で、裁判官には大部分将校が任命される。日本では明治一五年(一八八二陸軍軍法会議創設。大正一〇年(一九二一陸海軍軍法会議法により改正され、昭和二一年(一九四六)まで存続。軍事裁判所。
※軍制綱領(1875)〈陸軍省編〉一「軍法会議は平時大、中、少主理、書記諸員を置き」
※一兵卒の銃殺(1917)〈田山花袋〉二二「つかまへられれば軍法会議に廻されて重い刑に附せられるのだ」

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改訂新版 世界大百科事典 「軍法会議」の意味・わかりやすい解説

軍法会議 (ぐんぽうかいぎ)
court martial

主として軍人,軍属などに関する刑事裁判を取り扱う特別裁判所。戒厳令下,占領下など軍の行政下に置かれる場合には軍人,軍属以外もその対象となる。イギリスにおいては1689年の反乱法Munity Actによって軍法会議の設置が認められたのが最初である。イギリスの軍法会議には,5名以上の判士からなり,すべての犯罪を審理する一般軍法会議,3人以上の判士からなり,2年間の拘禁を限度とする地区軍法会議,イギリス国外で開かれる野戦一般軍法会議とがある。アメリカには,最低5名の判士(ふつうは将校であるが,起訴された兵士の要求によっては最低3分の1は兵の判士で構成できる)と判事役の法務将校1名からなり,軍法に基づくすべての犯罪を審理する一般軍法会議,3名以上の判士からなり,懲戒免職,6ヵ月以下の拘禁,6ヵ月以下の3分の2減俸などを判決する特別軍法会議,特別軍法会議にかけられる者が要求できる,軍事判士1人による略式軍法会議(将校,特別の階級をもつ者はその対象外)がある。フランスの軍法会議は6名の将校と1名の当該地方の文民裁判官(裁判長となる)からなる。

 日本の場合1872年(明治5),兵部省の一局,糺問司による〈軍法会議〉の〈仮会議〉を設け,軍法会議の事を行わせようとしたが,結局〈陸軍裁判所〉の設置がその発端となった。日本の軍法会議制度はフランスの制度にならったもので,フランス語のコンセイユ・ド・ゲールconseil de guerreを軍法会議と訳したものである。この当時のフランスにおける軍法会議制度は1857年以来,(1)陪審の精神にのっとり,被告人同等官によること,(2)軍法会議の判決に対する上訴は平時にあっては大審院破毀院),戦時にあっては高等軍法会議になすこと,(3)海軍においては軍法会議以前に軍港,工厰における安寧を害すべき一般人の犯罪を審判するための海軍裁判所を置く,という内容であった。82年陸軍裁判所廃止により東京に軍法会議が創設され,83年陸軍治罪法で制度化された。前述のフランス式内容である陪審の精神は,準士官以上には生かされたが,一般兵卒については佐官,尉官が判士としてあたることになった。

 陸軍治罪法は憲法との関連で88年に全編改正されたが軍法会議の内容・手続は基本的に変化しなかった(ここまでの経過は海軍もほぼ同一)。大正期になって軍法会議の審理判決の公開,弁護人の弁護,上訴の道,の3点を要求する改正の意見が学者や法曹界より起こり,これをある程度加味したものが,1921年原敬内閣時に公布された陸海軍軍法会議法である。陸軍軍法会議常設のものは高等(上告審),師団(一審),特設のものは軍,独立師団,独立混成旅団,兵站(へいたん),合囲地,臨時のそれぞれの軍法会議である。

 海軍の場合,常設は高等(上告審),東京,鎮守府,要港部(以上一審)で,特設は艦隊,合囲地,臨時のそれぞれの軍法会議である。常設と特設のおもな違いは前者が上訴,弁護人を選任すること,弁論の公開が可能なのに対し,後者にはそれが許されていないことである。〈陪席の精神〉の現実の程度は1883年の治罪法と同様である。

 軍法会議の裁判権は,陸・海軍刑法に定められた軍人,軍所属の学生,生徒,軍属,陸・海軍用船の船員,その他陸・海軍の部隊に属しまたは従うもの,ならびに俘虜に対してある。さらに戦時・事変戒厳に際し,一定の一般的刑事事件についても裁判権を行使することができた。軍法会議は軍隊指揮官を長官とし,陸海軍将校からの判士・文官の陸海軍法務官によって構成される。軍法会議は天皇の司法大権の発動によるもので軍事大権の発動によるものではないが,裁判官の過半は将校によって充たされ,軍に隷属し軍紀を維持し軍の秩序を厳正ならしむることを主たる目的とし,完全な司法独立機関ではなかった。なお,二・二六事件では,緊急勅令によって前記以外の特設の東京陸軍軍法会議が設けられた。五・一五事件,相沢事件,二・二六事件等における軍法会議が著名であるが,兵営内,占領地等における一般の兵士や住民に対するより日常的で多量の裁判の実態も重要である。戦後は日本国憲法第16条2項で特別裁判所の設置は法の下の平等原理に反し,最高裁を頂点とする組織体系にもなじまぬため,禁じられている。なお,現在多くの国に軍法会議の制度が存在している。
軍事司法制度
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「軍法会議」の意味・わかりやすい解説

軍法会議
ぐんぽうかいぎ

軍に属する特別の刑事裁判所をいう。軍法会議は、市民革命前のフランスにおいて、国王が出征部隊に特別の処罰機関を設けて、兵士の犯罪や軍紀違反を処罰させたことに始まる。同国では、1857年に法律によって軍法会議制度を整備した。

 日本では明治維新以後、初め兵部省内に糺問司(きゅうもんし)が設けられ、のちに陸・海軍各省内に陸軍裁判所・海軍裁判所が設けられたが、1883年(明治16)の陸軍治罪法により陸軍軍法会議が、また84年の海軍治罪法により海軍軍法会議が法定され、1921年(大正10)の陸軍軍法会議法・海軍軍法会議法により改正され、46年(昭和21)に廃止されるまで存続。軍法会議には、たとえば陸軍の場合、高等・軍・師団軍法会議のような常設のものと、戒厳宣告の際の合囲地軍法会議および戦時・事変の際に編成された部隊の臨時軍法会議のような特設のものとがあった。陸軍軍法会議の場合、裁判権は、陸軍の軍人、召集中および勤務中の在郷軍人、軍属などの準軍人、陸軍用船船員、俘虜(ふりょ)に及び、裁判官は判士(陸軍兵科将校)、陸軍法務官より構成された。また被告人は、弁護人として、陸軍将校・陸軍高等文官または同試補・陸軍大臣指定の弁護士のなかから選任することができた。

 戦後、日本国憲法第76条2項は特別裁判所の設置を禁止したので、軍法会議を設けることは違憲と考えられる。

[古川 純]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「軍法会議」の意味・わかりやすい解説

軍法会議
ぐんぽうかいぎ
court-martial

陸・海・空軍などの軍の軍規違反に対して,軍法に従い軍によって行われる裁判。通常,軍人,軍属を対象とするが,戒厳令,占領など軍の行政下におかれた地域では軍人,軍属以外も対象となりうる。イギリスで近代的な軍法会議制度が生れたのは,チャールズ1世の在位中 (1625~49) の勅令によってであるが,1689年の反乱法 Mutiny Actによって立法化された。日本においては,1921年陸・海軍それぞれの軍法会議法によって定められた。高等軍法会議,師団軍法会議が常設され,戦時,事変には特設軍法会議が設けられた。軍事司法機関としては明治2 (1869) 年に兵部省に設けられた糺問司が初めである。軍法会議は天皇の司法大権によって,陸海軍将校を判士,文官を法務官として裁判が行われた。すなわち,法制上明治憲法下において軍法会議は,同法 60条を根拠に陸軍軍法会議法 (大正 10年法律 85号) および海軍軍法会議法 (大正 10年法律 91号) で陸海両軍ほぼ同様の組織や手続を定めていた。常設のものと臨時のものとがあり,戒厳令下の地域にあっては一般の国民をも審判した。日本国憲法においては,この種の特別裁判所の設置は禁止されている (76条2項) 。

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百科事典マイペディア 「軍法会議」の意味・わかりやすい解説

軍法会議【ぐんぽうかいぎ】

軍人,軍属,敵国の軍人や住民などを裁く特別裁判所。軍紀を維持し,利敵行為を裁くため,一般社会とは異なる軍独自の秩序の維持の必要から設けられた。起源はフランス。日本では1869年兵部(ひょうぶ)省に設置された糺問(きゅうもん)所が最初。1872年陸軍裁判所,海軍裁判所が設けられたが,それぞれ1883年の陸軍治罪法,1884年の海軍治罪法で軍法会議として法定された。軍法会議の最高長官は陸海軍大臣だが,実際には陸海軍将校である判士と司法官試補から選任された法務官(合計5人)とが裁判官であった。日本国憲法は特別裁判所を設置することを認めていないが,多くの国に軍法会議の制度が存在している。→軍事裁判
→関連項目司法機関

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「軍法会議」の解説

軍法会議
ぐんぽうかいぎ

通常裁判所の管轄に属さない軍人の犯罪を裁判するための特別裁判所。1869年(明治2)8月兵部省に糺問司(きゅうもんし)を設けたことに始まり,のちに陸軍裁判所と海軍裁判所となった。陸軍は82年,海軍は84年それぞれの裁判所を廃して軍法会議を設置した。かねて陸軍治罪法と海軍治罪法により制度化されてきたが,1921年(大正10)4月26日,全面改正されて陸軍軍法会議法と海軍軍法会議法が基本法となった。常設と特設の2種があり,訴訟手続きの点で大きな差があり,常設は公開,弁護人付,上告可能であるのに対し,特設は非公開,弁護人なし,一審制であった。裁判官は判士と法務官から構成された。46年(昭和21)5月18日公布の勅令で廃止。

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世界大百科事典(旧版)内の軍法会議の言及

【軍事司法制度】より

…罰として体刑(笞刑(ちけい)など)や死刑が頻繁に行われ,デシメーションdecimation(兵士10人につき1人を処刑する処刑者選択制度)という古式の刑も行われた。中世の軍事裁判は単純,粗野であり,代表的な例はイギリスのリチャード1世が十字軍内部の窃盗や争いを禁じた1190年の律令であるが,手続規定や軍法会議はなかった。中世後期,西欧にはかなり精密な軍法典が現れ,一部はローマの先例にならい,一部はフランクやゲルマン諸国の法規慣例に基づいていた。…

※「軍法会議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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