足立正(読み)あだちただし

日本大百科全書(ニッポニカ) 「足立正」の意味・わかりやすい解説

足立正
あだちただし
(1883―1973)

経営者、財界人鳥取県境町(現境港(さかいみなと)市)に生まれる。1905年(明治38)東京高等商業学校一橋大学前身卒業三井物産入社後、藤原銀次郎にみいだされ、1911年王子製紙に転じ、1920年(大正9)取締役、1942年(昭和17)社長就任した。第二次世界大戦後は公職追放解除後、1951年ラジオ東京(現在の東京放送)社長に迎えられ、日本民間放送連盟初代会長となったほか、1956年日本生産性本部会長、1957年日本商工会議所会頭に就任し、幅広く財界活動を行った。

[浅野俊光]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「足立正」の意味・わかりやすい解説

足立正
あだちただし

[生]1883.2.28. 鳥取
[没]1973.3.29. 東京
実業家,財界指導者。 1905年東京高等商業学校 (現一橋大学) 卒業。三井物産に入社,藤原銀次郎に招かれて 11年王子製紙に入り,42年社長。第2次世界大戦後公職追放処分を受けたが,解除後財界に復帰し,51年ラジオ東京 (現東京放送) 開設とともに社長に就任,また日本民間放送連盟 (民放連) 会長にも就任して民間放送の発展に尽した。 57年東京商工会議所会頭に選任され,さらに日本商工会議所会頭として財界の世話役をつとめ,戦後日本の海外経済交流 (特にオーストラリアなど) に大きな役割を果した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「足立正」の解説

足立正 あだち-せい

1865-1947 明治-昭和時代前期の教育者,郷土史家。
元治(げんじ)2年1月10日生まれ。明治33年鳥取県淀江町の養良高等小学校長となり,農業補習学校,実科高女を併設して地域教育につとめる。大正13年淀江町に考古資料のための山陰徴古館を開設した。昭和22年10月29日死去。83歳。伯耆(ほうき)(鳥取県)出身。松江師範卒。編著に「米子市史」など。

足立正 あだち-ただし

1883-1973 大正-昭和時代の実業家。
明治16年2月28日生まれ。三井物産に入社し,のち藤原銀次郎と王子製紙にうつり,昭和17年社長。戦後,日本生産性本部会長,日本商工会議所会頭,日本民間放送連盟会長などをつとめた。昭和48年3月29日死去。90歳。鳥取県出身。東京高商(現一橋大)卒。

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