足利直義館跡(読み)あしかがただよしやかたあと

日本歴史地名大系 「足利直義館跡」の解説

足利直義館跡
あしかがただよしやかたあと

足利尊氏の弟直義の館の一。「太平記」巻二〇に「在三条坊門高倉、号三条殿」とあり、「園太暦」康永三年(一三四四)一二月二二日条には「今暁寅刻、当巽有火、後聞、左兵衛(直義)督三条坊門万里小路亭失火云々、執天下執権之人也、希異也」と焼亡記事を載せる。これによりその位置が高倉小路東、万里小路西であったことは知れるが、三条坊門小路の南北については不詳。ただ三条殿とよばれたことと、中古京師内外地図が三条坊門小路南方一町にあてていることを根拠とすると、現在の丸木材木まるきざいもく町の全域と柳八幡やなぎはちまん町・亀甲屋きつこうや町・御所八幡ごしよはちまん町の一部にあたる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android