贈物(読み)ぞうもつ

精選版 日本国語大辞典 「贈物」の意味・読み・例文・類語

ぞう‐もつ【贈物】

〘名〙 人に品物を贈ること。また、その贈った物。進物。おくりもの。
吾妻鏡‐建久元年(1190)九月一五日「一 六波羅御亭事并諸方贈物事 掃部頭親能」 〔潘尼‐送大将軍掾盧晏詩〕

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デジタル大辞泉 「贈物」の意味・読み・例文・類語

おくり‐もの【贈(り)物】

人に贈る物。進物しんもつプレゼント
[類語]進物付け届けお遣い物プレゼントギフト

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改訂新版 世界大百科事典 「贈物」の意味・わかりやすい解説

贈物 (おくりもの)

他人に無償で贈り与える金銭,物品のことを総称するが,日本では中世までは下位の者に対して下賜されるもののみを贈物と称し,上位の者へ進上されるものは進物といって区別した。近世以降この区別はあいまいになったが,今日でも進物には上位の者への献上品といった感覚が残っている。貢物も献上品である。これに対し地位にかかわりなく相手への援助を旨とする贈物は見舞と称される。また旅の帰りや訪問など人の移動に伴う贈物が土産(みやげ)であり,このほか祝福や感謝の印としての御祝や御礼など,日本の贈物には状況に応じて名目の区別がある。

 贈物をする習慣は古今東西を問わず広く存在する行為であるが,ヨーロッパなどでは歴史的に都市の発達した中世以降,贈与慣行は貨幣経済に駆逐され衰退していったといわれている。だが日本では貨幣経済の発展とも併存し,中世には武士の間で八朔(はつさく)の進物が幕府が禁令を出すほど流行したほか,中元歳暮は逆に近世以降の都市生活の進展によってより盛んになるなど特異な展開を示してきた。現代においても一方では前近代の虚礼,農村の陋習(ろうしゆう)といわれながらもいまだ根強く,H.ベフの調査(京都,1969-70)によれば一世帯当り月平均8.1回の贈物をしその費用は月収の7.5%にのぼるという。ことに中元と歳暮は戦後ますます盛んとなりデパートを中心にその売上げは急増し,世界に類をみない民族的大贈答運動が繰り広げられている。

日本には謝罪・感謝・依頼あるいは愛情のしるしとして一時的になされる贈物のほか,中元・歳暮をはじめ年始・彼岸・節供など毎年定期的に繰り返される贈答,出産・年祝・結婚・葬式といった通過儀礼の際や病気・火事・新築・引越し・旅行などの際の贈答,およびそのお返しおすそ分けなど慣習化された贈答の機会がきわめて多い。定期的な贈答は今日の都市化した社会では中元・歳暮・年始を除くと日本古来のものは廃れ,代りにバレンタイン・デーや母の日,クリスマスなど新しいものがふえてきている。一方,戦前までの村落社会では贈答の原初的意義を伝えるとみられる定期的な贈答すなわち節日の贈答が多かった。その特徴は,贈答品に食物とくに霊魂の象徴とされる餅が多用されること,また歳暮の新巻鮭,彼岸の牡丹餅(ぼたもち),盆の素麵(そうめん),雛祭の菱餅,端午の粽(ちまき),水口祭(みなくちまつり)の焼米,八朔の初穂などその節日に応じて特定の食物が決まっていることである。要するにこれらはその節日の神供であり,これを直会(なおらい)同様に人々が相饗(あいにえ)してその霊力を分割し,また一つの火で煮炊きしたものを共食して互いの結合を強化する意義があったと解釈されている。あるいは地方によっては正月の鏡餅や端午の粽などを半分だけ自家で作ったものに取り替えて返す習慣があり,これを合火とか火を合わせるというが,逆に異なる火で作った食物を交換してより多くの霊力を得る方法であるともいえる。贈物が神供同然であったことは,水引や熨斗(のし)を添える習俗や古代に贈物を意味したマヒ(幣)に供物の意もあることからもわかる。また贈物一般をトビと呼ぶ地方もあるが,これは〈賜(た)べ〉に由来し神からの賜物を意味すると説かれており,日本人の贈答行為は古来よりの信仰に根ざしたものといえる。会食に欠席した者に食物を送り届ける〈送り膳〉や出席者にもその家族へ食物を包み持たせるならわしまたおすそ分けなどは共食の効果を広げるものであり,オウツリとかオトビ,オタメと称し贈物を入れてきた器に食物を少し取り残して返したり半紙やマッチなどを入れて返すしきたりは,御飯を少し残してお代りする習慣同様,一つの食物を移し回していただき合う共食の作法を残したものとみられる。なお食物贈与にササやナンテンの葉を添えるのは古く葉を食器として使った名残とか魔よけのためといわれている。

 一方通過儀礼や各種とり込みの際の贈答は,儀礼などが行われる家への見舞が中心となる。香奠こうでん)と餞別(せんべつ)は金銭的援助の性格が強いが,産見舞,通夜見舞忌中見舞,病気見舞,火事見舞留守見舞などやはりいずれも食物が多用され,大勢の者が持ち寄った食物の力で当該者の不安な状況を支えるといった呪的な性格を帯びている。七つの年祝に子どもが近隣七軒から雑炊をもらい回る〈七所もらい〉なども同様の習俗である。ただし通過儀礼の際の贈答品は食物に限られてはおらず,妊娠祝の岩田帯,出産の産着,成人式のふんどしや腰巻,結婚祝の帯や下駄,還暦の赤い帽子と袖なしなど一連の衣類が古くから用いられたが,これは単なる祝福のしるしではなく地位や身分の変更を社会的に承認するしるしでもあったとされている。

 贈物は経済取引とは違いつねに返礼の義務を生み,社会関係の強化と一体感を創出する機能を持っている。とくに日本で現在でも贈答が重視され多用されるのは,贈答品の品目によって相手の心がわかるとさえいわれ,また〈まごころの贈物〉などと称されるように,贈答が物を媒介とした心情表現の一手段となっていることが大きい。これは日本人のコミュニケーションが非言語的側面を重視する点や言語による心情伝達が不得意な点とも関連するといわれている。このため贈与の機会に物を贈らないと〈義理を欠く〉と負い目を抱くだけでなく,相手に誠意がないと疑われる恐れもでてくる。ただで動くものは地震しかないといわれ,贈収賄が多発するのもこうした点がその土壌となっている。
執筆者:

欧米でも誕生日祝い,婚約指輪など贈答の習慣があり,パーティ,食事に対しての返礼の社会的義務の存在も認められる。物を贈ることには相手に対する拘束力があり,〈お返し〉はそれからの離脱である。昔この力が強かったことは贈物をあらわす中世フランス語ドンdon(ラテン語donumに由来する)の対としてゲルドンgueredonという〈お返し〉に当たる単語があることにも見られる。donがgueredonを喚起することから,17,18世紀になって贈物をあらわすのにプレザンprésentの語が用いられるようになり(英語を介して日本語のプレゼントとなっている),さらに現代ではカドーcadeauの語が用いられるようになった。cadeauは元来〈飾り文字〉の意で,食事の折に室内楽の演奏を提供することをも指していることからわかるように,〈お返し〉の拘束力の少ない〈気軽な贈物〉である。またM.モースは,ゲルマン語のGiftが贈物を示すと同時に毒の意味を含むことと,ゲルマン古伝説に不運の因となる贈物というテーマがよく見られることを指摘している。

 ヨーロッパの王侯貴族の重要な徳目は〈気前のよさ〉であって贈物には馬,武具,装身具,衣服,食品といった序列があった。最大の下賜品は封土で,めったに与えられなかった。ロマンスでは身分のある女性が騎士である恋人に片袖をほどいて贈る場面がよく見られる。贈物は社会的行為であるので集団の慣行を知って行う必要がある。日本で贈答に使われる菓子,靴下,タオルなどは欧米では避けられるが,チョコレート,糖果,ボンボンは許される。ケーキは家で作るものであり,靴下は肌着の一つと考えられている。花は無難であるが〈花言葉〉を読み込まれる可能性もあり,キクのように不吉な連想をもつ花もある。刃物を贈らないのも普遍的で,銀の食器セットにナイフは入らず,ナイフだけは別に買えるようにしてある。財布,札入れなどを贈るときは少額の現金を入れておく習慣もかなり一般的である。
執筆者:

民法の規定によれば,贈与とは当事者の一方がある財を無償で相手方に与える契約である。このかぎりでは,当事者が自由な選択に基づいて,一回的に,無償で(一方的に)贈る財が贈物であると考えられる。しかし,われわれの身近な贈物の習慣を例にとれば明らかなように,贈物は,儀礼的・慣習的な社会生活の局面では,これとはかなり異なった性格を示す。すなわち,贈物はある社会関係に付随する当然の行為として期待されており,したがって,任意というよりは半ば義務的であり,しかるべき機会のたびに繰り返して贈られるのである。またこれが,当事者間の一方的な贈与ではなく,贈物とお返しという双方向の贈答の形態をとることが多い。このような場合にも,贈物は,財の譲渡だけをとり出してみれば個人の恣意によって成り立つ自由な契約のように見えるが,その背景となる状況や期待を考慮に入れるなら,当該社会の習俗,文化によって規定された社会的制度というべきだろう。

贈物の習慣は,古来よりの人間社会にほぼ普遍的に存在するものであるが,その具体的な形態(贈物の品目,贈物がやりとりされる社会関係,機会等)は,文化の差異に応じてきわめて多様である。しかし,どの事例も,具体的な贈与の形態を規定する細かな規則(いつ,だれが,何を,だれに,どのように)によって制御されており,これによって首尾一貫した安定的な体系をなしている場合が多い。しかも,このシステムは,経済,法,社会組織という社会の最も基本的な側面と密接に連関しているのである。実際,上記の社会にあっては,相対的にひじょうに多くの財が贈物の形でやりとりされ,贈与関係が財の流れの重要な水路になっているところから,このシステムの経済的機能は明らかである。また,贈物は半ば義務であり,これに違反した場合には,非難や制裁が課せられたり,紛争状態が生ずることが多い。つまり,贈与のシステムは,法,道徳,宗教が一体となった未分化な規範のシステムと不可分である。

贈物のシステムが安定的であるとき,そこに含まれるどの主体(集団)に関しても,贈る関係と贈られる関係のバランスが成立していると考えられる。社会集団の間に特定のパターンに従って贈与しあう関係が成立しているとき,この関係を一般に互酬reciprocityという。この互酬の事例を分析してみると,人々は贈った分を結局他の人々から受け取っており,その逆も真である場合が多い。このような場合,互酬は,市場的な交換と異なって,功利的な利益を人々にもたらすことはない。それならば,何故に人々は無益に贈物をかわしあうのであろうか。互酬の制度は諸個人(集団)の利害や感情の反映ではなく,むしろ逆に,その単位となる諸集団の凝集と集団間の連帯を同時に生み出すとする見解に見るべきものが多い。つまり,互酬(相互的贈答システム)の合理性は,諸個人にかかわるよりも,社会全体の有機的な統合の成否にかかわるものであるといえよう。

ここから,贈物が功利的な財の交換と区別されるべきであることは明らかである。これをふまえて経済史学の分野ではK.ポランニーが,互酬のシステムを市場における交換との対比において定式化した。互酬のシステムは,再分配redistribution(集権国家等にみられる,社会の中心への財の集積と,中心から周縁への財の分配),および市場交換exchange(任意の主体間の財の交換)と並ぶ社会の統合形態の一つである。また,これらの三つのシステムはおのおの固有な制度であって,互いに進化,発展の関係にはない。さらに,実際のどの社会をとっても,これらの三つのシステムが組み込みあって共存する。この3点がポランニーの基本的論点である。彼は,交易,貨幣,市場の3要素が三位一体としてあらわれる市場経済が決して普遍的なシステムでなく,むしろ互酬,再分配のそれに比して特殊なものであることを力説した。

執筆者:

人はだれでも単独ないし孤立した状態で人生を全うすることは不可能であるから,個人であれ特定の集団であれ,他との共同・連帯をたとえ無意識的にせよ願望し,かつその促進につとめるものである。他方,個人あるいは集団はみずからの社会的位置の確認や強化のために,実質的効果を求めてさまざまに行動し,またその地位を他に認識せしめようと力を尽くす。贈物はまさにこのような社会的実効ある行動の一つである。贈物とは,他者に,経済的のみならず呪的・霊的・象徴的価値や意味のあるものを贈与することであり,この結果として収受した側には,これと等価と考えられるものを返礼する義務あるいは借りが発生する。すなわち,互酬を背景とした贈与交換の現象を呈する。こうした贈与と返礼の習慣は,われわれ自身の周辺においても,虚礼であるといわれながらも都市や農村あるいは産業社会においてさえ盆・暮などの特定の年中行事に際して,あるいはまた日常生活においても根強く広範に定着しているところである。この贈答行為の背景には友情と対立,信頼と不信あるいは愛情,是認,尊敬とその反意などを内容とした社会的感情の複合体が伏在し,この行為によって人々は相互の社会的位置関係の確認や強化に導かれることになる。信頼の証としての贈物に対して,何らかのものを送って返礼することは,この信頼が正当であることを認めたしるしである。逆にこれを拒否することは,友情と交際の拒絶や不信と敵意を意味することになる。

このような贈物の贈与・交換の現象は,近代社会における法的根拠に支えられた商業的経済行為とは異なり,むしろ儀礼的・道徳的側面が強調された慣習ないしは制度である。宗教的・経済的・法的・道徳的・社会的諸側面が複合的に混然としていて十分な分化に達していない,いわゆる未開社会では,経済的行為と儀礼的・道徳的行為が密接に関連し合いながらも儀礼的・象徴的側面が強調されることが多い。このことは,とりわけM.モースが《贈与論》で主張したように,近代社会とは逆に,実は儀礼的・象徴的贈与交換が社会的・経済的関係の基本的根幹を形成していることを意味している。そして,モースはこのような贈与交換の体系から,贈る義務,収受の義務,返礼の義務の三つの特質を摘出し,とりわけ返礼の義務の動因に着目したのである。この結果,義務的返礼の動因として,呪的・霊的観念レベルにおける強制力を見いだすのである。つまり,物とその所有者は呪的・霊的レベルにおいて結びついていて,収受者が返礼することによってはじめて,この結びつきが解除されることになり,これを契機に贈与物が収受者に属することとなる。この場合,かりに収受側が返礼を怠るならば,凶禍に遭うという観念が付帯していることが重要である。こうした宗教的レベルを強調したモースの見解に対して,モースの学問的系譜に列するレビ・ストロースは,人類普遍の理論の構築を目ざして交換理論の展開をすすめた。彼は象徴的コミュニケーション論を背景に連帯理論を展開するが,モースに比して,システマティックな交換による特定集団間の連帯促進をより強調する。原初的な社会集団は物品や女子の象徴的贈与交換を通じて他の集団との持続的な結合・連帯を維持し,安定させると説いた。つまり,原初的な社会における贈答システムは,まずもって食物や製品,さらに最も貴重な財のカテゴリーである女を含んだ全体的交換であると主張する。

このいわば連帯促進システムに対して,贈与のもつ他の側面として,送り手と受け手の間に競争や対立をまねく要素のあることも重要である。ポトラッチと呼ばれる北米インディアンの贈与交換に関する事例によれば,自己の威信を高めるために名誉や面子をかけて,財貨の惜しみない競争的贈与や浪費が行われる。これらの事例は身分階層差が明確な社会で見られ,栄誉を求める者は他者に贈物をし,贈られた側はそれ以上の贈物を返礼しなければならず,一方の破産にいたるまで果てしない対抗関係が展開することになる。また,メラネシアにおいてはクラと呼ばれる一定領域内の島々の間で行われる儀礼的贈与交換の体系がある。海辺部と内陸部との生活物資の交易サークルに加え,価値ある儀礼的物品の循環的な交換体系である。

 このように贈与交換の現象は人類に普遍的な事実であり,自己と他との意志的交流の主要な一現象である。贈与され返礼される物品の背後にある象徴的意味あるいはその行為が内包している呪的・霊的レベルにまで考察を加えるなら,贈物という単なる物品の移動のように見える行為の背後には,物のみならず威信,名誉,功利,契約など重層的価値の移動・混交・同化を見ることができるといえよう。
経済人類学 →交換
執筆者:

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世界大百科事典(旧版)内の贈物の言及

【コミュニケーション】より

…心の中の印象や意図は無媒介的に受け手には伝わらない。謝意の贈物,身ぶり,音声,あるいは文字などの事物的パターンを媒介にして表出されるほかない。これらの媒体がメディアmediaであり,この語は人間と神との媒介者である霊媒の英語名medium,さらにその複数形のmediaに由来する。…

【中元】より

…近世までの文献にはこの日とくに贈答を行った記事はみられず,この贈答の成立には古くからあった盆礼,八朔(はつさく)礼,暑中見舞などの贈答習俗がかかわっている。とくに盆は祖霊の供養にとどまらず,生御霊(いきみたま)と称し存命の父母に子どもらが魚を贈る習慣があったが,これが親族間の供物のやりとりに,さらには近代の都市の発達による交際関係の拡大に伴い贈答の範囲も広がって,今日みるような歳暮(せいぼ)同様のふだん世話になる者への礼としての贈物となった。そのため盆礼本来の意味を失ったことから中元の称を当てるにいたったものと思われるが,今でも関西はじめ旧盆を行う東京以外の地域では,中元も盆に合わせ8月に贈るところが多い。…

【積物】より

…贈物としての酒樽,菓子のせいろう,魚の盤台(はんだい)などを,家の前や道端に高く積み上げて飾ること。また,その品物のこと。…

【年玉】より

…正月に子どもらに与えるこづかい(お年玉)をいうが,かつては新年を祝ってする贈物全般を指した。年初に贈物をする習慣は,室町末にはすでに公家の間でも盛んで種々の品が用いられたが,近世になると武士は太刀,商人は扇子,医者は丸薬などとそれぞれの品が特定化した。…

【見舞】より

…今日では一般に病気や災害など不幸なできごとに遭遇した者を慰めるために訪問することをいい,またその際なされる贈物を呼ぶ。火事や水害などの見舞はもっぱら経済的援助を旨とする。…

【ヨーロッパ】より

…彼岸において用いるためである。古ゲルマンの社会では〈贈物はお返しを求める〉という言葉があり,ランゴバルド法においてもお返しはラウネギルトという形をとり,無償の贈与という考え方はなかった。贈物を受け取ると贈った人の人格も移ってくると信じられており,贈物をもらったお返しをしないと贈主に従属する危険もあったのである。…

※「贈物」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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